まず「有罪ありき」の現在の裁判制度
興味のある題材を映画化し続けてきた周防監督。今回取り上げた日本の裁判制度に対しても、かなりの意見があるようだ。
「裁判の判決は、『こういう理由だからこういう結果になる』という建前。でも、みんながこの映画を観て驚くのは、裁判の経過の中に判決の理由がないからです。いや、実は判決理由としなければならない証拠があっても、裁判官の結論は最初から決まっているように見えるのが、日本の裁判なんです」
裁判官が被害者の気持ちを考えると、無罪は出しにくい。無罪になれば、目の前の被害者に「被告は犯人ではない、犯人は別にいる」と通告することになり、被害者の気持ちを考えると、それはなかなか言いにくい。また社会に真犯人が野放しになっているという事にもなるので、社会不安も煽る。警察や検察は自信を持って立件しているので、その被告人をすんなり犯人にしておけば社会的にも問題はない。潜在的にそういう悪い図式があると周防監督は語る。
「様々な判決文を読むと、本来は"疑わしきは罰せず"のはずなのに、無罪の確信がないと無罪判決は書けないということが分かります。本来は有罪の確信があるときが有罪で、それがないときは無罪にしましょうっていうのが、刑事裁判の原則のはず。日本では「悪い人はつかまっている」という先入観がありますが、検挙率は実は30パーセント程度なんです。10人の犯罪者のうち7人は野放しです。なおかつ検挙された中で、起訴される被疑者も実は少ない」
証拠隠しが新たな悲劇を生む
起訴すれば有罪になるという事件しか、日本では起訴しない、だから必然的に無罪判決がなかなか出ない。ということになるのだ。
「それが一番問題。だから冤罪が起こるんです。冤罪の原因として多いのが、目撃証言の間違いと証拠隠し。検察側は被告人を犯人だと確信しているから、無罪を証明しかねない証拠を隠すんです。アメリカではそれを防ぐために、全面的な証拠開示が進んでいます。これは世界的な傾向なんです。日本は未だに証拠の目録すら出さない。弁護側もどういう証拠があるのかがわからないから、請求のしようがない。無実の人だと、逆に事件のことが分からない。従って、無実を証明する証拠が何なのかも解らないから、検察がどんな証拠を持っているか特定も推定もままならず、証明のしようもない。どうしようもないんですよ。裁判だけでなく、僕が映画で描いた警察や検察の描写も、元被告人から聞いた事実なんです。結果、裁判に無罪推定はなく、有罪推定となる」
弁護士たちの感想
あらかじめ決められた結果に向かって進む裁判。映画でも描かれたこの図式は、実際の現場の人々にはどう届いたのだろうか?
「弁護士からは「とにかくリアルだ」という感想が多いです。「自分の担当裁判を思い出して、映画を観ている間、辛くてしょうがなかった」という弁護士もいました。最近、ある裁判官と話した時、「もし私が映画と同じ事件を扱ったら、どんな判決を書いたか判らない」と言われ僕がドキッとしましたよ」
映画の内容以上に全ての人が「裁判制度」について考え、熱く語ってしまうこの映画を周防監督はこう振り返る。
「製作中はストレスも溜まりましたが、試みは成功したと思います。とにかく、1本のエンタテインメント映画として、裁判制度の問題点をこの映画の中だけで完結させたくなかったんです。映画館を出たら終わりという作品にはしたくなかった。1本の良い作品として完結していても、今回はまったく意味がない。完結しないで現実にひきずって欲しかった、実は劇場を出た後のほうが、この映画にとっても、観た皆さんにも重要なんです」