「特攻の地」の自衛隊、平和への思い
さて、今回の試験飛行が海上自衛隊鹿屋航空基地で行われたこともまた、特別な意味があるだろう。鹿屋航空基地は映画「永遠の0」でも描かれているように、多くの零戦を特攻機として送り出した地であり、現在も海上自衛隊が使用している現役の航空基地だ。通常なら民間機の試験飛行に使われるなど考えられない。
鹿屋航空基地の第1航空群司令、市田章海将補は「アメリカで復元された貴重な機体を、隊員教育の教材として役立てる。空港と同様に国の基準に従って使用料金を請求しており、アメリカ航空局や国土交通省の検査にも合格しているため安全性の問題もない」と説明した。そして「ゼロ・エンタープライズは零戦を『平和の使者』としてお披露目するという。我々海上自衛隊の使命は、平和を維持していくことだ」と語った。
鹿屋航空基地の隣には資料館があり、復元された零戦五二型(飛行は不可能)とともに特攻隊員の膨大な写真や遺品が展示されている。戦争の記憶を語り継ぐ鹿屋の地で、70年の時を経て平和のために舞った零戦は、海上自衛官たちの心にどんな思いを残したのだろうか。
「里帰り」は始まったばかり
石塚氏は1961年1月28日生まれ。奇しくも初飛行の翌日が55歳の誕生日ということになる。今回の初飛行は石塚氏自身への大きなプレゼントと言えるのかもしれないが、「零戦里帰りプロジェクト」にとってはむしろスタートラインに立ったばかりでもある。
鹿屋航空基地での試験飛行を終えた零戦は、鹿児島空港へ飛行する予定だ。しかし日本国内各地で零戦を飛ばすには、これからも多額の費用が掛かる。零戦はアメリカで登録しているため、機体登録の更新のためにはアメリカへ輸送して検査を受ける必要もある。先に書いた通り、ホルム氏に代わる日本人パイロットの養成も必要なので、アメリカへ輸送した際に訓練を行うという。
これまで「零戦里帰りプロジェクト」は、多くの支援者からの有形無形の協力に支えられてきたが、今後もこれまで以上の支援が必要になるだろう。しかし、鹿屋の空を零戦が本当に飛んだという事実は、より多くの支援を集める起爆剤になるのではないだろうか。零戦が日本各地の空を舞う日まで、石塚氏の新たな挑戦は続く。