テクノロジとともに変化する放送とウェブの文字表現

動きというものをひとつの軸にして、言葉のありようを捉え直すこと。テレビもウェブも、メディアのありようとしては異なる展開を見せているが、しかし、それぞれの特性にふさわしいタイポグラフィを、日々模索し、チャレンジを繰り返しているという点では、共通した姿勢がうかがえる。

ディレクターの永原康史は、両者のレクチャーに共通しているものを「文字とテクノロジーの関係性」だと喝破した。

「テレビの場合、視聴者をつなぎとめるために、文字情報を、どう整理し、どういうかたちで提示すべきか、というところで、表現方法を探っている。また、ウェブの場合は、グラフィックデザイナーが印刷や加工に通じているように、アルゴリズムに精通していなければならない。ともに情報の裏側にテクノロジーが介在している点は示唆的だと思います」

原研哉は、テレビにおける文字表現では、ある種の“鈍み”が必要不可欠だと指摘。

「マスを相手にしている分、シャープさが求められているわけではない。それを理解していないと、言葉は届かないのかもしれない。だからこそ、テロップひとつとっても、絶妙な言葉が選ばれている。逆に、中村さんの“鋭い”表現を、テレビで流したとして、面白さが感じとれるのかどうか。ふたつのメディアの違いを、まざまざと感じさせられました」

いま、言葉の世界は、ダイナミックな表現形式を獲得しつつある。その可能性を注視していきたい。

研究会を終えて



永原康史

中村勇吾さんが自分のデザインを「アルゴリズムレベルでのコラージュ」と表現されたことにも驚いたが、文字は意味と形態の結節点だという指摘はタイポグラフィの核心を突いていた。その言を借りれば、意味と形態を解剖台の上で出会わせることこそが言葉のデザインなのだろう










原研哉

NHKスペシャルのタイトルはなぜ「書」なのか、 そしてメタリックに光っているのか。今まで不可解だったものが理解できた。一億人の感覚を突破していく大いなる「鈍み」だ。一方で中村さんの仕事にはものすごく繊細なリズムがある。ウェブを通してその細やかさを精緻に表現している


(写真:大沼洋平)