オンスクリーンメディアの可能性

オンスクリーンメディアの可能性を探るという意味では共通しているものの、松本と小泉の考え方やアプローチはまったく異なる。それは逆に、オンスクリーンメディアの可能性が幅広いことを示している。と同時に、両者に共通する問題意識を、ディレクターの原研哉は、こう指摘した。

「松本さんは書籍というプラットフォームを電子デバイスの中で作って行く方法を、緻密に考えておられる。一方で小泉さんはスイスタイポグラフィの伝統を踏まえたうえでiPhone/iPadにふさわしいかたちをプログラムにまでさかのぼって模索されていた。いずれも、文字のかたちをどうやってきちんと構築していくかということに相当のエネルギーを注がれていて、そこに感動しました」

一方、永原は、デバイスのありように目を向ける。

「松本さんの“文庫というデバイス、デバイスという判型”という言葉が印象に残っています。それで言うと、BCCKSは、紙とオンスクリーンがシームレスになっている面白いメディアだと思う。つまり、どのデバイスを選ぶかというときに、iPhoneと等価のものとして、文庫本という選択肢が設定されている」

松本の認識は明快だ。

「技術開発がどんどん進んでいる分、いまは“途中”のものがたくさん出てきている。だからこそ面白いわけでね。ぼくらにできることは、印刷メディア含め、いままでやってきたことを、電子メディアにフィードバックしていくことだと思う。逆に、これからのメディアは、若い世代が使い方を変えていけばいい。『あとは任せたぜ!』という感じですよ」

研究会を終えて



永原康史

出自の違う二人のグラフィックデザイナーは、興味というより使命感で電子メディアに携わっているように見えた。二人ともが、次世代に引き継ぐことを心にとめて仕事をしている。はたして「本」のボディはどこにあるのか。話しを聞きつつ、そんなことを考えていた。





原研哉

お二人のお話を通して気がついたのは、書籍というのはメディアではなく強固な「プラットフォーム」であるこということ。メディアに爆弾を仕掛けるようにコミュニケーションをしかけていく松本弦人が「書籍」というプラットフォームを使おうとしていることはとても示唆的である。一方で、小泉さんの「スイスタイポグラフィは異端のタイポグラフィ」という発言も新鮮だった。確かにそうだ。デザインは異端にのめり込むことも、そこから離れることも重要なのだ。


(写真:大沼洋平)