「泥のように働く」とは?
ディスカッションの中心になったのは「泥のように働く」というキーワード。IT業界でこのキーワードが広まった経緯についてははてなキーワードに詳しい。「10年は泥のように働け」という言葉の真意は何なのか、本当に10年も泥のように働かなければならないのか。伊藤氏は次のように指摘する。
「@ITの記事は『泥』を強調しすぎているけど、もともとの発言は、いくらSEとして優れていたとしても専門分野になれば10年程度の下積みが必要になる、という意図だったのではないかと思う。若い人は自分の能力をすぐに発揮したいと考えるから、反発が起きる。しかし実際にはモノを作る方法論や大規模開発のノウハウ、クオリティを確保する方法など覚えることがたくさんあり、10年は長いかもしれないが、ある程度の下積みは必要」
よしおか氏は「業界の重鎮が『IT業界』と十把一絡げにして発言しているのは不用意」だと指摘しながらも、若いエンジニアに対しては次のように呼びかけている。
「もしソフトウェア開発の経験値を上げようと思ったら、OSSの開発は非常に効果的。学生でも参加できるので、入社してから10年と言わず、学生のうちから経験を積んでいく積極的な戦略はアリだと思う。また、もし入社してから思うようにいかなくても、数年は勉強する機会ととらえてしたたかにやっていくという方法もある」
学生側の意見はどうだろうか。益子氏は「泥のように働くというのは必死に働くという意味ならば、SIだけ『泥』が強調されるのはなぜなのか」という疑問を口にする。また源馬氏は「他の業種も同じではないか。あるいは院生でも必死で論文を読んだり開発をしたりするが、もしかしたらこれも泥なのではないか」と指摘する。
確かに、単に必死に働く・勉強するというだけならば、IT業界だけが特別なのではない。それに対する答えは『泥』に象徴される意味にありそうだ。小飼氏は次のように語る。
「『泥』という部分には、『評価されない』という意味が込められているのではないか。下請けのエンジニアにとっては、いくらコードを書いても完成した製品に自分の名前は載らない。論文は人の目に触れる。光が当たって正当に評価されるわけで、これは泥とは違うと思う。」
35歳定年説は本当か
「10年泥のように働く」という発言とあわせて若手エンジニアに重圧を与えているのが、「プログラマ35歳定年説」である。学部を卒業して10年間泥のように働いたらもう32歳、光が当たるのはたった3年なのか。この35歳定年説については、アルファギーク側の面々が一様に異を唱えているのが印象的だった。
「私がSeasarを始めてプログラマとして世に出たのは35歳を過ぎてから。プログラムに価値をつけることができるならば年齢なんて考える必要はない」(ひが氏)
「自分が努力しないのを他人のせいにしてはいけない。周りが35歳で定年と言っていたとしても、自分がそうでないと思うなら、思ったように努力すればいい。」(よしおか氏)
「管理系の仕事ができるようになればそれはそれでやりがいがあるので、プログラムにこだわることはないと思う。ただ無自覚に与えられた仕事だけをやっているようだと35歳くらいで行き詰まるかもしれない」(伊藤直也氏)
「私はコードを書くのが好きなので年齢は気にしていない。ただ、上流工程が好きでコードを書くことをやめたいという人は、35歳くらいが上限だと考えるんじゃないかな。」(谷口氏)
結局、大事なのは自分が何をしたいかという意思ということだ。いずれも経験に裏打ちされた力強い言葉である。しかし、そのような経験を積むのはまだこれからという学生にとっては、まだ不安が大きいようだ。小飼氏の「どんなものを作りたいのか」との問いかけに、新井氏は次のように答えている。
「まだ就職活動中で、具体的に何がしたいのかは全くわかっていない。ただアルバイトなどの経験から、自分が作ったもので誰かが満足してもらう喜びは感じていて、それは技術職でも同じなのではないかと思っている。ただプログラミングは苦手なので…」
社会に出て何かをしたい、しかし何ができるかわからないという相反する思いが、将来への不安をかき立てているようだ。