必要なものは『世界一になる』という意思

2月12日。東北大学未来情報産業研究館にある大見研究室を訪問した。ここは半導体製造に関する先端研究施設である。研究室を率いる大見教授は、半導体製造に必要な「スーパークリーンルーム」を提唱し実現させた日本の半導体研究の第一人者である。また数多くの企業と連携し、研究を進めてきた研究者でもある。

東北大学未来情報産業研究館のスーパークリーンルーム

「スーパークリーンルーム」とは、それまでのクリーンルームよりはるかに清浄な環境を実現したものだ。高密度化する半導体製造において、従来よりも高性能なクリーンルームが求められていた1980年代。大見氏はクリーンルームの汚染源となる要因を徹底的に排除するさまざまな技術を開発し、1987年にスーパークリーンルームを完成させた。このスーパークリーンルームは、現在の半導体製造工場のスタンダードとなっている。

大見教授は、『産学連携』の代表事例として米Intelと共同で行ったの半導体工場建設について語った。

「1987年にスーパークリーンルームが完成したんですが、Intelがやってきて、この技術を使いたいというわけです。ところが当時のIntelはまだ小さな会社で財政状態も悪く、あまりにもバジェットが低くて『これじゃできないよ』と言ったところ、当時の副社長が『もうこれ以上は出せない』と言うわけです。それで、『会社に必要な資金を調達するのが副社長の仕事だろう』と説得したところ、Intelの創設者ゴードン・ムーア(Gordon E. Moore)氏から予算の承認がおりてプロジェクトが始まったわけです。ただそんな(悪い)状態にもかかわらず、『自分達はこの分野で世界一になるんだ』と当時の技術者たちが毎日言っていました。"半導体分野で世界一になる"という意気込みはすごかったですね。」

このプロジェクトにより、Intelはスーパークリーンルームを備えた工場をカリフォルニアに建設することになる。このとき、不幸にもカリフォルニア大地震の影響で、建設中のクリーンルームが汚染されてしまうという事態に見舞われたという。しかし、工期がわずか3日間遅れただけで工場は完成し、いきなり歩留まり80%を記録したそうだ。これは当時としては記録的な数字で、これにより大見教授は"セカンドソース不要論"を確立できたと当時を振り返る。

「当時の半導体は"水物"だと言われていて、"セカンドソース"として(その会社の製造許諾を受けた)別の会社から同じ半導体をもう1つ調達するのが普通だったんです。それを不要にしたんですね。その後、Intelは彼らの希望どおり世界一の企業になったわけですが、あれから(Intelは巨大企業へと成長し続け)彼らの背中が遠くなる一方です。」と日本人研究者として複雑な思いをみせた。

続けて大見教授は、連携先の企業に必要不可欠な1つの条件を挙げた。

「企業規模は問いませんが、その分野で『世界一になる』という意思がないとダメです。産学連携は志の高いところと連携しないとうまくいきません。」

まったく新しい技術への挑戦は、中途半端な姿勢では無理ということだ。かつてともに仕事をしたIntelにはそれがあったという。