講演はマルセル・プルーストの「発見の旅とは、新しい景色を探すことではない。 新しい目を持つことなのだ」という一文の紹介から始まった。この意味をよく説明する例が1801年の黒板の発明だという。当時、初めて黒板を目にした教育者は、巨大な板の設置や生徒全員が首を上げる状態などを危ぶみ、黒板の導入に反対したそうだ。それから半世紀近くも黒板は教育現場で受け入れられなかった。その価値が認められ普及し始めたのは米国では1840年代、カナダでは1850年代になってから。ただし、どちらの国でもわずか10年程度で一気に90%超の普及率に達した。

カナダ西部における1856年から1866年の黒板普及状況の推移。黒い部分が90%超。右下は黒板以前に使われていた"スレート"

Buxton氏が着目したのは、黒板を拒否していた学校が黒板以前にスレート(小型の黒板)を教材に使っていたことだ。つまり19世紀の教育業界を揺るがした黒板の発明は、スレートを大きくして壁にかけただけだったのだ。「全く同じ素材で、書き・消しの方法も同じ。言い換えれば、同じ"ユーザーインタフェース"、同じ"テキストエディタ"で、同じ"オペレーティングシステム"なのだ」。技術的には1つも発明と呼べるような要素はない。だが、黒板は板書の方法やスケール、効率性を変えたことで、教育に大きなインパクトをもたらした。同氏が黒板を例にしたのは、技術主導を軽んじているのではない。ユーザーの生活やスタイルを意識し、視点を変えるアイディアもまた、偉大な新技術に匹敵するような発明なのだ。今日のサーフェス・コンピューティングやタンジブル・コンピューティングは、液晶パネルやセンサーなど新しい技術の追加によって実現している。その大本は異なった視点のアイディアからスタートした。