対照的な経歴を持つ"2人の李氏"

2人の来歴から分かるように、大学院修了から創業までの2年6カ月、彦宏氏はサラリーマンとしてDow Jones関連企業やInfoseekに勤めていたが、それはごく短い期間だったといえる。開復氏は1990年から今日まで、ナチュラル・インタラクティブ・システムのプロフェッショナル、あるいは経営者として高い地位を占めてきており、彦宏氏とはやや対照的な傾向が見える。こうした立場の違いが、経営戦略の策定に強い影響を与えていることは言うまでもないだろう。

彦宏氏は百度の最高意思決定者で、その意思決定スタイルは「多くの人から意見を聞き、少ない人と相談し、自分が決定を下す(聴多数人的意見、和少数人商量、自己※2決定)」というものであると言わる。彦宏氏自身も、「私のメンツは重要なものではなく、当社において何かあれば率直に言ってもらい、意見が食い違えば私が最終的に決める」と、自分に最終決定権があることを強調している。

※2は、にんべんに「故」

百度で重大事項を決める場合、彦宏氏は、時に一種の独断で強行するという。百度は1998年の設立から2003年3月まで、中国国内のある大手総合ポータルサイトに検索エンジン技術を提供していた。しかしその後、同技術使用料の支払いなどをめぐり、両社は激しい攻防を展開した末、協力関係を停止した。百度は同技術のサプライヤーとして大手ポータルサイトに頼っていくか、独立した検索エンジンサイトとして生き残りをかけるか、という厳しい二者択一を迫られた。

彦宏氏は上層部を含む社内の強い反対を押し切って、後者を選んだ。これにより、百度は新たなスタートを切ったわけである。もし、このとき、李彦宏氏に意思決定権がなく、その"鶴の一声"がなければ、百度が表舞台に出てくることもなかったであろう。

一方、開復氏は、大中華区総裁として、Google中国において最高度の裁量権を与えられているとはいえ、最終的にはGoogle本社からの指示を受ける必要がある。開復氏の役割はGoogle中国をGoogle本社に協調させること、なのだ。

「李開復氏の仕事は、かなりの程度、Googleが米国でやっていることを中国において実現させることにある。つまりは、ローカライゼーションを実現させることにある」(中国Yahoo!副総裁の張憶芬氏)。この点から見れば、開復氏は最高意思決定者というよりは、Googleの中国戦略の執行者としての性格を強くもっていると言える。

実は、これまでにも、開復氏がGoogle中国を辞めるといううわさが何度も流れた。それを意識したかのように、Google CEOのEric Schmidt氏は、中国を訪問するたびに、「李開復氏とGoogle中国の業績にとても満足しているし、李開復氏に対して十分な自由裁量権を与えている」とメディアに対して発言する。逆にこうした発言から、開復氏、Google中国、Google本社との間で高度のシンクロが必ずしも十分に保たれているわけではない、と見る向きもある。