清華大学卒業後、動画サイト「Mysee」を立ち上げ

中国のネット業界における80後の創業ストーリーが、すべて成功しているわけではない。夢が失敗に終わってしまうケースももちろんある。その中で、一度手痛い失敗をしたにもかかわらず、再起に成功した80後は、単純な成功事例よりも世間の注目の的になりやすい。高燃氏はその代表的な1人だ。

金津氏らとは違い、高氏は大学中退ではなく、理科系の名門である清華大学を卒業、その後ベンチャーを起こした。多くの中国人はいまだに大卒や院卒が成功への登竜門と考えているため、こうしたケースは、より多くの中国人、とくに保守的な中国人に受け入れられやすいものだ。

ある経済紙で1年ほど記者を経験した高氏は、2006年春、ベンチャーキャピタルの遠東控股(※2)集団董事長である蒋錫培氏をはじめとする3人の投資者から、200万ドル(約2億1,800万円)以上の投資を受け、「Mysee」という名の動画サイトを運営する企業を起こした。

※2 人へんに分

2006年の上半期、とくに第1四半期は「動画サイト元年」と言われたほど、同サイト関連ビジネスが勃興していた。こうしたトレンドに「80後、名門大卒、創業者」という条件を兼ね備える高氏は、たちまち国民的な人気を博するようになり、IT業界における若手エリートの代表人物の1人としてCCTVのトークショーなどに出演し、時の人になった。高氏にはメディアから、「80後のリーダー」「80後のニューリッチ」など華々しい呼び名が数多く送られた。彼は、ベンチャー起業の夢を持つ中国人青年のカリスマになったのだ。

Myseeから手を引くも、「中国娯楽網」で成功

だが2006年後半になると、動画サイト市場が早くも過当競争の様子を見せ始めるようになる。動画コンテンツの著作権をめぐる問題や投資者間の摩擦など、さまざまな矛盾が噴出し、船出間もないMyseeは行き詰まってしまった。高氏はその責任を取り、2006年10月、会社から離れることになった。一部メディアは、手のひらを返したように、彼のことを「投資者から蹴飛ばされた男」と報じた。

しかし高氏はこうした失敗、メディアからの圧力に屈しはしなかった。同年11月、再び蒋氏らからサポートを受け、「中国娯楽網」を開設する。中国娯楽網は、主にエンターテイメント業界、とくに芸能人、映画スターら有名人に関するニュースを専門的に取り上げるパパラッチ的なサイトだ。

高氏によると、中国娯楽網は現在約400人の記者と専属契約を結んでおり、中国のエンターテイメント業界のニュースの8割を独占しているといわれる。ネット広告が最大の収入源で、ソフトドリンク大手の広州王老吉薬業、乳業大手の伊利集団などが主な広告主だ。

中国娯楽網はすでに黒字経営に入っており、高氏の2度目の起業はまずは成功したといえる。あるメディアは、同氏のサクセスストーリーを、「80後における史玉柱氏」として報道しつつ、彼の夢がいつか「ニューメディアにおけるエンターテイメント帝国を創るかもしれない」と紹介している。

※中国オンラインゲーム業界最大手の上海巨人網絡科技の創業者、会長兼CEO。最初の事業失敗から再起し、大成功を収めたことで知られている。同社は昨年11月、NYSEユーロネクストに上場を果たした。