手紙を書く作業は、「手間」ではなく相手への「想い」

――子どもの頃の手紙に関するエピソードなどはありますか?

小学校2年生の時、東京から埼玉に引っ越したんですが、しばらくしたらかつてのクラスメイト全員からの手紙がバサッと届いたんですよ。たぶん、授業か何かで書いたんでしょうね。『転校していった友だちに手紙を書こう』みたいな感じで。でも、向こうは一人1通ですけど、こっちは30人に返事しないといけない。あれで手紙の書き方を覚えましたね(笑)。一人ひとりに個別の手紙を書いて。それが手紙とはじめて向き合った記憶ですね。結構、自分の中で強烈なエピソードです(笑)。

――それは凄まじい(笑)。年賀状などは書かれていましたか。

割と工夫した年賀状を昔は送っていました。高校生の頃ですけど、ラッパーの格好をした自分のデジタル写真と、ヒップホップ風に『YO!』とか交えたラップの歌詞ごとはハガキに印刷したり。

――ラブレターをもらったりしたことは?

小学校1年生か2年生の頃、クラスメイトの女の子から奥ゆかしい手紙をもらったんですが、奥ゆかしすぎてラブレターかどうかよく分からなかったです。季節のことなんかが書かれていて。毎日学校で会うのに(笑)。けど、印象に残っていますね。

――手書きの文章が、そうやって記憶に残るのはなぜでしょう。

単純に当たり前ではなくなってきているからでしょうね。ただ、手紙って自分で書いて切手を貼って送る、という最低限の手間はかかるんですけど、結果的にそんなに手間はかからないんですよね。

――結果として手間がかからない。非常に興味深いです。例えばどういったことでしょう?

例えばメールだけで何かを伝えようとした場合、無制限に書ける分、気持ちを伝えるのって難しいんですよ。でも、必要最低限の手間をかけて送られた『手紙』というものは、それだけで異質なので、大したことが書いてなくても、そこに書いてあること以上の何かが相手に伝わる。だから結果的に手間がかからないんです。お祝いの言葉を伝えたいけれど何を書いていいか分からない、という時、たとえ中身がないことを書いたとしても、何か一つでもいいから共通の話題に触れていたりすればいい。それで喜んでもらえたら、『想いを伝える』ということにおいて、手紙のほうが結果的に手間がかかってないし、実は楽なんです。執筆の依頼をいただくときも、手書きだと気持ちが動かされますよね。それが会社の方針で決まっていることだとしても、わざわざ時間を割いて書いてくれているんだと思うと。

――やっぱり手書きだと、温かさが伝わるのでしょうか。

今はラクをして何でも簡単な方法でできてしまう分、この人は本当に自分に何かを伝えたいのか、本当に頼んでいるのか、本当に期待してくれているのか、それを証明や確認することができない。そこで"手紙を書く"という簡単なひと手間をかけてくれるかどうかで、その気持ちが本当かどうか分かるという、ある意味で精査のフィルターになっていると思うんです。ですから『温かさ』とかいう抽象的なイメージとかではなく、気持ちに具体性が伴うのが手紙のメリットですよね。