手紙を書くことでしか体験できないこととは

昨年『スクラップ・アンド・ビルド』で第153回芥川賞を受賞した小説家・羽田圭介。自らの受賞作のタイトルをプリントしたTシャツを着てテレビに積極的に出演するなど、ユニークな言動がメディアでクローズアップされるが、次代を担う書き手として注目度は高い。本ができあがった際、献本に添える手紙を1日がかりで書くという羽田氏。そんな彼に手紙との関わりや、手紙を書くことでしか体験できないような感覚について、独自の視点で語ってもらった。

――まず羽田さんが普段、手紙を書く機会はどんな時ですか。

本を出版した後、献本をする際などに同封する手紙を、丸一日費やして20通くらいは書いています。自分の手書きの文字を誰かに見せる機会というと、それが多いですね。相手に読んでもらうために手書きで文章を書く時の感覚って、その時にしかやって来ないというか。

――具体的にどのような感覚なのでしょうか。

身体感覚として『手紙を書く』という行為でしか体験できないものがあると思うんです。文化的な行為というより、運動をしている時のように、それをしている時にしか活性化されない脳の部位が刺激されているというか。手紙に何を書くかより、その行為によってでしかもたらされない、自分を見つめ直す時間のようなものに、辿りつける。それは普段の自分からの「変身」って言えるのではないのでしょうか。

――なるほど。羽田さんご自身は手紙を書く場合、相手によって内容を変えたり、考えたりされるんですか。

内容だけを重視した場合、メールのほうが細かいニュアンスや修正も含めて書き易いとは思います。仕事のやりとりなどで具体的情報の伝達が必要であれば、そのほうがいい。ただ、文字数制限がなく、いかようにも書き直しできてしまうメールでは、内容的な良さのみで勝負することになってしまう。だから無料で送れて手軽かと思いきや、メールは意外にも手軽ではない。手紙の場合は、『手書きで書く』という形式が大半を占めるほど大事に思っていて、形式があるからこそ伝わることもあると考えています。

――逆に、普段手紙をもらう機会はありますか?

読者の方からいただく手紙は増えましたね。17歳でデビューした直後は多かったのですが、その後しばらく感想文などをもらうことはなかったんです。でも、昨年芥川賞を受賞してからは、また一気にいただくようになりました。出版社経由ですけど、一番多かった時期は月に数十通は自分の手元に届いたり。

――傾向としては、どういった内容のお手紙が多いのでしょうか。

出版社のフィルターを通って届いたとはいえ、中には批判的な手紙もあったりするのですが、それはわざわざ手書きで書いて切手を貼るという作業があって、お金も数十円ですがかかるので、そこには手間がありますよね。その手間をかけてまで伝えたいことというのは、真摯に受け止めるべきなのではないかと思っています。こういう風に受け止られる方もいるのか、というように知見を広げる感覚で拝読しています。

――まさに、それが手紙の効果の一つでもありますよね。

そうですね。例えばインターネット上の無料で誰でも簡単に使えるツールで、書き殴られたようなメッセージは、いくら真面目な内容だとしても『この人、いい加減に思いつきで書いたんじゃないか?』と思ってしまいますよね。「手紙を書く」という形式を踏むことは、多少なりとも相手のことを考えていることの証明にもなると思います。