――周防監督の作品は、『シコふんじゃった。』や『Shall we ダンス?』、『それでもボクはやってない』など、エンタテインメントよりの印象が強いですよね
周防監督「そうですね。でも『それでもボクはやってない』はエンタテインメントにするつもりの作品じゃなかった。もしエンタテインメントになっていたとしたら、日本の裁判がおかしいというか、笑っちゃうようなもので、だからこそエンタテインメントになりえたんだと思います。『シコふんじゃった。』や『Shall we ダンス?』は意識してエンタテインメントの作品にしましたが、『それでもボクはやってない』は実際の日本の裁判システムを知ってもらう、僕が見た裁判を皆さんにも見てもらうことが主眼だったので、逆にエンタテインメントという評価を受けたことにはちょっと驚きました」
――真面目にやっていても笑ってしまう要素が多かったわけですね
周防監督「痴漢というのも、考えてみれば滑稽なところがある。もちろん被害者には笑えないですが。今回の作品は「生と死」のドラマだし、一カ所も笑いが入らなかった。こんなの初めてです。ただ、これは意識して笑いを取り除いたのではなく、作ってみたら笑いが入らなかったというのが正直なところです」
――笑いの要素は流れの中で生まれるものですか? それとも意識して入れていくことが多いのでしょうか?
周防監督「『Shall we ダンス?』までの作品は明らかに意識して入れています。それは単に受けを狙っているのではなく、人間の笑ってしまうようなことも含めて生きるということだから、当然必要になるわけです。人を描く以上絶対に入ってくる。ただ、『それでもボクはやってない』については、特に笑わせようとは思っていなかった。竹中直人さんは思っていたかもしれませんけど(笑)。僕自身はそういう風にしてほしいとも思っていなかったのですが、ああいったシーンなので、笑いを取るような演技であっても映画にとってはプラスになる。ただ今回はさすがに……ちょっとぐらいどこかにユーモアを、とは思いましたが、入れられなかったですね」
――それは脚本の段階から入れられなかった感じでしょうか?
周防監督「原作を読んだ段階から笑いは入らないかなと思っていました。原作を読んだときに感じた緊迫感を映画にしたかったので。ドンドン追い詰めていきたかった。観客をドンドン圧迫していきたかったんですよ。ただ、笑いを絶対に入れまいと思ったわけではなく、結果として入らなかったというのが正確なところです。トイレのシーンを観てニヤッとする方はいらっしゃるかもしれないですけどね。僕の映画でトイレシーンのない映画はないので。でもそこぐらいです。そういう意味でも、映画の質がこれまでとはまったく違っています」
――『終の信託』の原作を読んだきっかけは何だったのですか?
周防監督「この原作者の違う本を読んでいて、すごくいい本だったのでファンになっていたんです。でも、その本を誰が書いているかは知らなかった。現役の弁護士さんというのは知っていたんだけど。で、その小説がテレビドラマになると聞いた頃、『それでもボクはやってない』の準備をしていて、弁護士さんの勉強会などに顔を出していた。それで、ある勉強会の懇親会に出たら、『今日はあぶく銭が入ったからみんなにご馳走してあげる』とおっしゃっている人がいる。『あぶく銭って何ですか?』と聞いたら、『私の書いた本がTVドラマになるので、そのお金が入った』って言うんですよ。そのとき、もしやと思ってタイトルを言ったら、『何で知ってるの?』って。それがきっかけで知り合いになり、僕が先生の小説の大ファンだという話をしたら、それ以降、小説を出すたびに送ってくださるようになった。今回の原作はその中の一編です。だから、別に映画の原作本を探していたとか、法律関係の小説を片っ端から読んでいたわけではなく、たまたま好きな作家が送ってくださった本を読んだら、映画にしたいと思った。なので『それでもボクはやってない』を撮っていなかったら、この作品に出会うことはなかったかもしれません」