――小説などを読んでいて、これは映画になる、映画にしたいと思うポイントはどのあたりですか?
周防監督「実は僕の場合、今回が初めてなんですよ、原作を読んでいて映画にしたいと思ったのは。今回、なぜ映画にしようと思ったかというと、ちょうど僕が今までにやってこなかったことで、今すごくやりたいことにピッタリとこの小説が重なったからだと思います」
――監督のやりたかったこととは?
周防監督「人と人が向き合うことで、そこにはある空気が生まれる。出会っている状況や話されている内容によって、その部屋の空気ができるわけですよ。その空気感を映像として表現としたいという強い思いが自分の中にあったことを、この小説を読んだときに気づかされた。たとえば待合室でひとりで待っているときの不安や、そのときの主人公の思いは、その空間を支配する。その空気感を映画で表現したいと思ったわけです」
――ちょうどその思いと原作小説が重なったわけですね
周防監督「僕は小説が好きで、たくさん読むんですけど、好きになればなるほど映画にできない。だって、小説としてきちんとできているものを、あえて映画にする必要なんてないじゃないですか。なので、小説を映像化する意味合いがよくわからなかった。でもこの小説はそんなことさえ考えさせず、この待合室で待っている女医さんを撮りたい、この取調室の空気で映画館全体を支配してみたい、そんな欲望が出てきました。『それでもボクはやってない』を撮った影響が大きいと思うんですよ。あの作品では、およそ映画のための嘘をつかず、現実をありのままに映し出そうとした。法廷は実際の東京地裁の法廷そのものを見せたい。そして、そこでどのように裁判が展開されているかを見せたい。だから、映画のための嘘をつかずに、現実にあるものを、いかに現実にあるものとして受け取ってもらえるかが重要だったんです」
――現実を現実として描き出す
周防監督「それならドキュメンタリでやればいいじゃないかと言われるかもしれませんが、それは無理なんですよ。なぜなら、法廷の中にカメラは入れないですから(笑)。実際、ドキュメンタリと言っても、ある時、ある瞬間を切り取って、それを積み重ねているわけですから、結局ありのままというわけではないですよね。映画を作る場合、なるべく僕が感じたことを2時間ちょっとという時間の中で、観客に届けたいといろいろ考える。そこに映画的な工夫はあるんですけど、画作りについてはリアルな現実を見せるというのがテーマだった。接見室だって実際の接見室と同じようにしようと思って作りました。でも、今回の作品は違うんですよ」
――『終の信託』では画作りにも映画的な工夫がなされているわけですね
周防監督「待合室も検察庁も、小説に書かれているものとは全然ちがっています。本当だったら、待合室には窓がないし、建物も東京地方検察庁、日比谷公園のところにある近代的なビルで、面白い建物じゃない。『終の信託』では、小説の中の世界をそのまま移し変えるのではなく、小説に出てくる人たちの背景や人間的なものに、空間も合わせることで、より厚みのあるものにしたかった。もちろん、小説に東京検察庁の待合室と書かれているから、実際の東京検察庁のようなところで撮るというやり方もあります。でも今回は、ありのままの現実をそのまま伝えるのではなく、特別な物語を映画的にどう表現するのか、そういったところの挑戦でした。そういう意味では、ディテールの部分で原作にすごく付け足し、映画的な工夫をしています。今までに僕が作った映画の中でもっとも映画的な工夫をした作品だったと思いますし、それは、そういう工夫をしたいと思わせる原作だったから、としか言えないですね」
――原作そのままに撮るのではなく、映画的な工夫を加えることでより厚みが出ている
周防監督「あとは、僕がシナリオでは絶対に書けないものだったということですね。あの取り調べの臨場感は僕には書けないです。結果として40分以上にわたる取り調べシーンなんですけど、『それでもボクはやってない』でも少し取り調べシーンは書いていますが、こんな風には書けないと思ったのが大きかったです。自分で明らかに書けないんだから、だったら使わせてもらうしかないわけです。この原作者は刑事弁護を本当に長年に渡ってやってきた人で、取り調べというものを本質的につかんでいる。とてもじゃないですが、僕がちょっと取材した程度で書けるようなものじゃなかった。だから使わせてもらったんです。『それでもボクはやってない』を撮っていなかったら、この原作を映画にしようとは思わなかったですね。あの下地があったからこそ、この小説のすごさや怖さ、そういうものがわかったんだと思います」