怪談とホラーの違い
――稲川さんにとって怪談とホラーはまったく別のものなんですね
稲川「怪談とホラーは全然違いますね。ホラーというのは、襲ってくる恐怖、そして見る恐怖。これはアメリカ的なんですよ。私はそんな怖さも大好きなんですけど、やっぱり怪談というのは、そういうものではない。根底にあるものが違うんですよ。そこは日本と欧米の文化の違いにも関係するのではないかと思います」
――文化の違いですか?
稲川「家の作りというのも大きく関係すると思います。たとえばキャンプに行ったとします。日本人はまずビニールを敷いて、荷物を置いて、屋根を作るんですよ。でも向こうの人は違う。まずは壁、仕切りを作るんです。プライバシーを守りたいので。だから、覗くための"窓"が必要なのですが、日本の家屋では"窓"ではなくて、"間戸"、間の戸がある。ふすまとか障子ですね。同じ仕切りではあるんですけど、ふすま越し、障子越しで、隣の様子を伺うことができる。部屋に入ろうとする人も、何となく中の様子がわかるし、中にいる人も、障子に映った影や何かで外の様子がわかる。気配を感じることができるわけですよ。こんなこと、アメリカやヨーロッパではまずありえない。この気配を感じるというのが怪談にそのまま活きてくる。ホラーにないのはこの気配なんですよ」
――日本という土壌が怪談を生み出しているわけですね
稲川「最近ツアーにも外国の方がいらっしゃるので、『怪談がわかるのか?』って聞くんですよ。そうすると『わかる』って言うんですけど、それはやはり日本の文化を理解したうえでの『わかる』なんですよね。やはり怪談は、日本の土地柄、気候、文化といったものから生み出されるもので、それを理解できる感性が根底にないと意味がない。ただ怖いだけだとつまらないですから」
――日本を理解することが怪談を理解することにつながる
稲川「小泉八雲、ラフカディオ・ハーンも『怪談は感性だ』と言っている。『あなた方ヨーロッパの人というのは世界の中心にあって、おそらく東の端の日本なんて国は知らないだろう。知っていたとしても野蛮な国としか思わないだろう。ところがとんでもない。私が大好きな、愛するこの日本という国は、景色もいいし水もいい、人も優秀なんだよ。そして加えて言うなら、あなた方が持っていない感性がある』と言って怪談を書いている。つまり怪談は感性なんですよ。髪の毛の怖さ、爪の怖さ、そういったものが向こうにはない。昔から日本にある怪談には元ととなるネタのようなものがあって、たとえば雪女だって本来は全然違う話なんですよ。でも、そこに感性が加わることで、深みが出て、怖さが出てくる。座敷童子だってそうです。怪談の元になる話というのは、昔の日本ならごく普通の風景なんだけど、その裏側に隠されている真相が、怪談となって語り継がれていく。本当に日本の文化に根ざしたものなんですよ。だから、日本の文化を理解していない外国の人でも、怪談の怖さはわかる、でも、その本当の深さにはなかなかたどり着けないのではないかと思います」
――日本人なら潜在的にわかっている事柄が、怪談の真の怖さを成立させるわけですね
稲川「廊下の暗さ、井戸の中で水が鳴る音、素足でひたひたと歩く音、そういったものがわからないと、怪談の本当の怖さは理解できないと思うんですよ。靴をはいてドカドカと歩いていたら、怪談の怖さにはならない。怪談はそういった日本ならではの感性に加えて、思いやりがあって、優しさがある。だから温かいけど、怖いんだと思います」
――ちなみに、心霊現象と言われるようなものについては、どのようにお考えですか?
稲川「私自身、心霊現象に遭遇したこともありますし、殺人現場や自殺者の死体を発見したこともある。本当に不思議なことをたくさん経験してきているんですよ。なので、世の中には不思議なことがあって当たり前と思っている。だから、わりと変な力というものは信用しますね」
――いわゆる霊感はあるほうだと思いますか?
稲川「今までの経験から考えると、あるんじゃないかと思います。死体を発見したときも、"偶然"発見したみたいになっていますが、そんなの偶然じゃないですよね。普通なら絶対に行かないような場所に行って、発見しているわけですから。絶対偶然じゃない。たぶん呼ばれているんだと思うんですよ。いつかは解明されるかもしれませんが、こういった事柄は、科学で割り切れるようなものではない。だから別に無理強いはしないです。霊がいるとかいないとか、そんなことはどうでもいいことなんですよ。だって、全部が見えたら面白くないじゃないですか(笑)」