稲川淳二と怪談
――稲川さんが自覚的に怪談を話し始めたのはいつぐらいからですか?
稲川「子どものころに母親やおばあちゃんから怪談話を聞かされていて、ずっと昔から好きだったんですよ。で、小学校のころに、雨で体育が休みになって教室にみんなでいるようなときに怪談話をしてみると、みんなが怖いと言って聴いてくれる。怪談話がうけるというのがわかったのは、その頃ですね」
――子どものころから怪談を話すのが好きだったんですね
稲川「今ではこうして仕事としてお話させていただいていますが、そのきっかけとなったのはオールナイトニッポンの2部をやっていた頃ですね。2部って遅い時間から始まるんですけど、当時はお金がなかったので、まだ電車があるうちにニッポン放送まで行くわけですよ。なので、放送まですごく時間がある。もちろんその時間に放送の準備もするんだけど、なぜだかそこで怪談話をする機会が増えてきて、いつの間にやらすごいたくさんの人が集まってくるようになった。そうしたらプロデューサーが、『どうせ2部は誰も聴いていないだろうから、怪談をやってみよう』って言うので、実際に放送で怪談をやったところ、ものすごい反響があった。それからですね、昼の番組でお話したり、テープを発売したり……」
――今では、怪談と稲川さんは切っても切れない関係です
稲川「ただ、これまで自分からどうこうと働きかけたことは一度もないんですよ。周りの人たちが私を引き上げてくれた。自分から売り込んだことは一度もなく、ただ好きだから話していただけ。そして、今でも好きだから話している。でもやっぱり、自分が好きな怪談を聴いてくれる人がいるのはうれしいことなんですよ。怪談なんて主役になるもんじゃない。季節限定のキワモノなんです。大通りにある洒落た洋菓子屋ではなく、横丁にあるような駄菓子屋でいい。でも駄菓子屋には、子どもから大人まで、みんなの想いが詰まっているんですよね」
――みんなに愛される存在ですよね
稲川「そうなるといいなと思います。だから、私がテレビに出てきたら、『あ、稲川淳二が出てきた。じゃあ、そろそろ冷やし中華だ』。それでいいんです(笑)」
ミステリーナイトツアーも19年目に突入
――今年も「ミステリーナイトツアー」で全国を周られるんですよね
稲川「今年でもう19年目になります。最初にツアーをやりませんかって言われたときは、本当に『ええ?』って感じだったのですが、とりあえず1年、さらに1年と続けていくうちに、19年目になってしまいました。このツアーでひとつ自慢できるのは、舞台がすごくいいところ。セットがすばらしいんですよ。これだけはどこにも負けていないと思えるぐらい自信がある。普通は背景なんて絵で書くじゃないですか。これが絵じゃないんですよ。家の土壁が割れて、竹が覗いている。こんなの絵でもいいのに本当に作っちゃう。これはすごいですよ。でも時々頑張りすぎちゃって、一度、水車小屋を作ったときなんかは、本当に水の流れる立派なものを作っちゃった。これもすごかったんですけど、音がうるさすぎて、喋っていても、みんな水車に気をとられて(笑)」
――セットはもちろんですが、怪談のほうももちろん注目ですよね
稲川「毎年毎年、話す内容には苦労しています。話の破片を集めてくるのにけっこう苦労するんですよ。今年の話もすごくいい話なんですけど、まだ集めた破片がうまくハマっていないので、ちょっと焦っています。それがうまくハマればとても面白くなると思っています」
――怪談を作るときの苦労はどのあたりですか?
稲川「いろいろな人からいろいろな話を聞くのですが、完全に使える話というのは100人から聞いてもひとつもないぐらいで、200人ぐらいから聞いて、やっとあるかないかぐらい。『どこどこに行ったら、こんなことがあって、怖かったよ』。そんな程度なんですよ。なぜそこに行ったのか? どんな状況でその現象を見たのか? それがどのように展開していったのか? そういったところまで踏み込んでいかないと怪談にはならない。たとえば考古学者が何かの破片を見つけたとします。『これはどんぶりかな、壺かな』って考えるんだけど、それ以上はわからないのでとりあえず置いておく。そして何年か経った後、その近くでまた別の破片が見つかり、それがピタッとはまって、壺の形になっていく。そして、どうしても見つからないところは、周りの様子から推測していくわけですよ」