次に審査員としてどんな矜持やプライドを持って臨むべきなのか。
2013年大会の王者・かもめんたるの岩崎う大がXに「昨日のキングオブコント観ながら、飯塚さんが思ったより点差をはっきり付けていて、僕は松本さん不在の中あそこに座る男の覚悟を感じて胸熱でした。だって本来、飯塚さんが点差つけたいわけないじゃないですか。ステージ上だけじゃなく、審査員席にもでっかいコント愛が輝いていました!!」と絶賛し、これをメディアがこぞって取り上げた。
しかし、その言葉には一理ある一方で、「他の4人より少しだけ」という感は否めなかった。5人全員が「むちゃくちゃ面白かった」「僕は好きです」「ハイレベル」などと視聴者の感想に近いコメントを連発。浜田が繰り返しコメントを求めても称賛の言葉以外は歯切れが悪く、採点の理由やコントの分析などはわずかで、それがネット上の戸惑いや不満の声につながっていた。
プロの芸人でファイナリストである以上、面白いのは当然。さらに、どんな審査でも人間がやる以上、ある程度好みが出るのは当然なのだから、時間の限られた生放送で「面白い」「好き」とコメントするのは、自らへの批判を避けるための枕詞に聞こえてしまう。
「今回の大会で審査員がはっきりと課題をあげたのは5組目のコットンで、最下位になった9組目の隣人以外は称賛のコメントで占められていた」と言っていいのではないか。ただ、ふだん劇場やネタ番組での共演が多い現役コント師を審査員に起用する以上、ある程度の情が入ってしまうことは避けられないのかもしれない。
しかし、ファイナルステージでそのムードが一変する。最初にラブレターズが登場すると、じろうは「要素が多すぎる割にはお客さんに伝わり切ってなかった。釣りの要素いるのかな」、小峠が「どこに向かっているのか、何の話なのか」、飯塚が「僕もストーリーがもうちょっとあったほうがいいなと」などと辛口コメントを連発。しかも山内以外の4人が3組中2番目の点数をつけながら優勝した(4人が「最も面白い」とは思っていなかった)ことで審査への疑いにつながっていた。
結果的に「勇気や覚悟をもってぶっ飛んだネタを選んだラブレターズの勝利」という形になったが、一方の審査員にその勇気や覚悟はどれだけあったのか。いくつかの番組を背負い、批判されやすい立場だけに、採点やコメントが無難になりがちなのは仕方がないのかもしれない。ただ、「そんな背景がある分、勇気を持って挑んだラブレターズに低い点をつけづらかった」ように見えた。
審査員たちは「じゃあお前がやってみろよ」と思うかもしれないが、それは王者に輝いたトップとしての使命だろう。視聴者の中には「面白かった」という感想や好みではなく、採点の理由や技術的な分析を聞きたがっている人が多いだけに、それが王者の必然性につながっていくのではないか。その意味で来年の大会は「面白かった」「好み」というフレーズを禁止してみたらちょっと面白いかもしれない。
現役だから「好み」は自己肯定に
もう1つ気になったのが、現役のコント師が審査員を務めることによって、「好み」を自己肯定とみなすような人々が少なくなかったこと。つまり、「自分のコントに似ているものを高評価する」という審査傾向を感じていた人が一定数いたことになる。
前述したように「好み」はそれなりにあって当然であり、それは「コント」に限らず多くの審査に該当することだろう。しかし、それが自己肯定とみなされてしまうのなら、審査員としての資質を問われかねない。
Xに「飯塚には新しい設定、秋山には理由なき面白さ、山内にはもう1展開が必要」などと高得点をもらう方法を指摘するコメントがあった。小峠がドリフのようなニッポンの社長を最高得点にしたことも含め、「現役コント師だからこそ審査員自身のコントと重ね合わせて見られてしまう」ところは気の毒だが受け止めなければいけないところではないか。
一方、昨年大会までの松本は自身の笑いとは遠そうなコントも評価する傾向があった。飯塚が評価しそうな設定も、秋山が評価しそうな理由のなさも、山内が評価しそうな1展開も幅広く称えていたように見えたが、それは不在だから感じることなのか。
松本が現役コント師ではなく、そもそも漫才ベースの芸風だからそういう審査になるのか。それとも、審査員としてのキャリアが長いから広い視野が持てるのか。松本が不在になったことによって、現役との違いを考えさせられたことは間違いないだろう。
ともあれ、現役が自分のネタに近いものを評価し、遠いものを低評価する傾向を感じられてしまったら誰も得をしない。「日ごろそれを『面白い』と思って作っているわけだから仕方がない」という言葉で済ませるのではなく、彼らほどのキャリアと技術があれば、もう少し柔軟な対応ができるのではないか。
少なくとも、「結局ニッポンの社長が一番笑った」「ダンビラムーチョが一番面白かった」などのコメントが多かったのは確かなだけに、そんな視聴者目線を無視しないほうがいいように見える。