――この秋は、『イワクラ吉住』が終了して『あのちゃんねる』が地上波復活するというご自身にとって大きな節目だったかと思います。『イワクラ吉住』は思い入れのある番組だと思いますし、先ほどお話しいただいた冨樫先生の奇跡もありましたし、終了というのはどのように受け止められたのでしょうか。
『バラバラ大作戦』とか『スーパーバラバラ大作戦』って本当に競争がすごくて、半年ごとにちゃんと全部の番組がふるいにかけられるんです。そんな中で、深夜にあのトーンでやってた番組が2年半もやれたことは、まず本当にありがたいなと思います。ただ、時間帯が上がるとより戦いが激化して、そこで戦うために別のことが求められて、やらなきゃいけないことがいっぱいあって、ファンの人たちに申し訳なかったなと思うと同時に、難しいなってすごく思いました。番組を終わらせないための戦いって本当に体力を使うんだなと。
私にとって、自分が立ち上げたレギュラー番組が終わるという経験が初めてだったので、こんな気持ちになるんだ…とも思いました。自分で産んだわが子を亡くしてしまったくらいのしんどさがあって、何か月も飲み込めなくて。そういう諦めが悪い部分があるので、テレ朝でやってるポッドキャストで復活できないかなとか、どこかやれるところがないか勝手に探してます(笑)
――その一方で、『あのちゃんねる』は『バラバラ大作戦』1期生としてスタートし、その後CS、YouTubeと場所を変えて続けながら、今回地上波レギュラー復活という極めて異例の再出発となりました。まず、あのちゃんとはどのように出会ったのですか?
一緒に地下アイドルをやっていた子が、(アイドルグループ・)ゆるめるモ!に加入するというのでデビューライブを見に行ったら、そこで新メンバーとして一緒に踊っていたのがあのちゃんだったんです。ゆるめるモ!の曲もパフォーマンスもすごく良くて、友達が入ったということもあって、そこからどんどんゆるめるモ!に箱推しでハマっていくんですけど、あのちゃんって当時から変で(笑)。MCとかでもポツンと言った一言がもうキレキレで面白くて、ライブパフォーマンスも目を引く異端な存在。動物的で衝動のままに生きているような危なっかしさもあって、どうしても気になっちゃうんですよ。
そんなゆるめるモ!と一緒に仕事がしたいと思って、大学生の時に文化祭で講義してライブしてもらって、ホームパーティーのデカい版みたいなイベントもやりました。私がしょっちゅうライブにいたから、あのちゃんも何となく私のことをメンバーの友人として認知してくれていたんです。
それからテレビ局に入って、『出川とWHYガール』であのちゃんに密着したら、出川さんも「変な子だな」って面白がってくれていたので、その後『バラバラ大作戦』の最初の企画募集があったときに、あのちゃんで企画書を書いてみたら、なぜか通って(笑)
――当時は、『水曜日のダウンタウン』(TBS)の「『ラヴィット!』の女性ゲストを大喜利芸人軍団が遠隔操作すれば、レギュラーメンバーより笑い取れる説」でブレイクする前ですよね。
放送枠は、『さまぁ~ず論』『かまいガチ』の後という並びで、異物的に入ってて(笑)。『バラバラ大作戦』のイベントがあったときも皆さん「あのちゃんはじめまして」って感じでした。たぶん、『バラバラ大作戦』が始まる時だったので、雑多な企画が集まる中で、ラッキーなタイミングで入れたんだと思います。でも、ティモンディの高岸(宏行)さんを迎えた初回のOAが結構パンチがあって、当時の制作部長が「『あのちゃんねる』みたいなおかしい番組作れ」と言ったという逸話が浸透するくらい評判になってました。
温かい人たちのおかげで流浪の番組に
――あのちゃんは、最初から冠番組に乗り気だったのですか?
実は企画書を出した時、あのちゃんはゆるめるモ!を脱退して、世の中から消えていたんです。ゆるめるモ!のマネージャーさんを経由して「あのちゃんの企画がテレ朝で通ったんですけど、やってくれますか?」とオファーしたんですけど、本人のモチベーションが分からないので、断られる可能性もあると思ってました。『出川とWHYガール』で密着した時も、カメラを向けると逃げて、まかれるし、密着すると約束してたライブに30分以上来なかったりしたので。
――昭和の破天荒芸人みたいですね。横山やすしみたいなエピソード。
たしかにそうかもしれない(笑)。行動が予測できないし、コントロールできないし、『あのちゃんねる』をやると決まっても、「初回収録、来てくれるかな…」って前日まで思ってました。来なかったらそれはそれで内容変えるか、っていうゆるい感じでスタートしたんですけど、回数を重ねるうちに手応えを感じてくれたのか、ずっと頑張ってやってくれていると思います。
――『バラバラ大作戦』で1年間放送されて終了すると、次はCSに舞台を移されました。
CSに優しい人がいて、「『あのちゃんねる』面白いね」って応援してくれて、場所を用意してくださって、2か月に1回とかのペースでやっていました。しかもニューヨークさんとかせいやさん(霜降り明星)とか豪華な人が出てくれる謎の感じで、「あのちゃんって面白いね」と、芸人さんたちの中で広がっていった時期だったかなと思います。
――そしてCSからYouTubeに行きました。
そうこうしていくうちに、テレ朝のYouTube「動画、はじめてみました」っていうのが盛り上がってきて、「『動はじ』で『あのちゃんねる』をやらせてもらえませんか?」とお願いしたら、優しく受け入れていただけたんです。
――社内のいろんなとこにファンがいたんですね。
そうなんです。温かい人が多くて、『動はじ』は船引(貴史)さんがあのちゃんを面白いと思ってくれて、やってみたらすごく跳ねて。そのチャンスをくれた先に「メタバースでゲーム作っていいよ」とか、いろいろやらせてくれました。そんな流浪の感じで、気づいたらもう4年ぐらい経って、また地上波に戻ってくることになったんです。
――4年間、番組を守り続けられたのが、すごいですよね。
たしかに、ゆるゆるながらも1回も止まってはなくて、チャンスがあれば全部やらせてもらって、そこで結果を出せたことで、またいい場所を彼女に用意できることができて、すごく“物語”を感じます。
あのちゃんはもちろん最初から特異な存在で面白いんですけど、どんどん進化しているんです。私はずっとそばで一緒に番組を作りながらそのドキュメンタリーを見ているようでもあって、彼女の生き様を感じて自分ももっと頑張ろうって奮い立つし、彼女が発表する音楽や映画、今出ているドラマ『民王R』もそうですが、忙しい中でクリエイティブで毎回最高を更新していくタフさがあるので、すごくリスペクトしています。
――ゲストを迎えてトークする企画「スナックあの」ってあるじゃないですか。あんな回し役ができるなんて、最初の頃は想像できなかった感じでしょうか。
そうです。あれができるようになったのも、まさに彼女の一つの成長ですよね。ああやって来てくれた人の話を引き出して会話できるようになったのを見ると、親戚のおばちゃんみたいな気持ちになったりもします(笑)
『ロンハー』のスポーツテストでは、加地さんにオタクの長文プレゼンみたいなメッセージを送って彼女が抜てきされたんですが、私、現場で感動しちゃって。あのちゃんが大人になって一生懸命走ったり、みんなと勝ったり負けたりして、気づけば主人公みたいになってたんです。彼女が学生時代にできなかった(※)遅れた青春を取り戻してる感じがあって、本当に良かったと思いました。
(※)…あのは学生時代、周囲となじめず保健室登校や引きこもり生活を送っていたことを明かしている。
――地上波レギュラー復活一発目のゲストが、出川さんでした。
番組立ち上げのきっかけだった出川さんに「帰ってきたよ」という思いと、こんなに進化したあのちゃんとがっつり濃厚に1対1で絡むことはなかったと思うので「見ててね」という気持ちもありました。
――そこにも“物語”がありますよね。個人的に『あのちゃんねる』では、ウエストランドの井口(浩之)さんの特殊な歯並びにあのちゃんがすごいテンション上がるのが大好きです。
ありがとうございます。『あのちゃんねる』は「歯周病ちゃん」というキャラクターもいるくらい「歯」が一つのテーマになっていて、この前も口内をイメージした中で演者さんがみんな歯の格好をして進む「歯すごろくで遊ぼう」って企画をやりました(笑)。あのちゃんはバイ菌になってプレイヤーをチクッて刺したり、マス目に歯に関する罰ゲームを入れて。そういうのを会議でずっと考えてるから、スタッフがみんな歯の脳になってきてます(笑)
最新話では、これも「意味が分からない」とか、「あのちゃんのスケジュールがなかったのか」と見た方には言われそうなのですが、<「スナックあの」に来たらあのちゃんが子どもになっている…けど中身はあのちゃん>という、ヘンテコな企画をやっています。常にTVerの再生回数とか数字のことを言われるので、プレッシャーでもありながら、『あのちゃんねる』が好きな人たちがより一層楽しんでもらえるように「何だこれ!?」っていうどこか引っかかったり、違和感がある企画をやっていきたいですね。