――岡光さんは、『ウソ婚』が初めてのラブコメ作品ですよね。
そうなんです。だからこそ分からないことがあれば周りの人に聞くし、なるべく現場に行って監督やキャストとディスカッションするよう心がけています。自分の中で正解をガチガチに決めず、みんなで作った方が絶対に良いものが生まれますので。やったことのないジャンルだからこそ、未知のことを純粋に楽しめていますし、どんなジャンルをやっても「人間」を描く、ということは変わらないなと。
実は、最初のプロデュース作品『TWO WEEKS』(19年)では全て1人で抱え込んでしまって、周囲に頼れなかったんです。ドラマというのは当然、1人では作れないものですから、分からなければ周囲に頼ればいいし、アイデアを聞けばいい。今は頼れるスタッフもいて、良い意味で肩の力が抜けたフラットな姿勢でいます。
――なるほど。上田さんが「奥深い」とおっしゃる理由はそこにあるのですね。
だとしたら幸いです(笑)
――『TWO WEEKS』は、やはり最初のプロデュース作品ということで、印象深い作品ですか?
そうですね。あのとき自分ができなかったことって山ほどあるんです。カンテレって、よくも悪くもいきなり自分がチーフのプロデューサーになっていろんなものを背負わなきゃいけない立場に立たされるんですけど、そのときの自分は経験値も実力も足りないし、だから打ちのめされました。ですが同時に、ドラマを作るのって本当に面白くてやりがいのある仕事だなと思ったんです。
三浦春馬さんという主演にも恵まれていたので、あのときの思いが今の自分を支えてくれていて、今でも何か踏ん張りが必要だなと思ったときは、当時の写真を見て鼓舞して頑張ろうと思うんです。すべての土台になっているのは、やはりプロデューサーデビューの作品なのかなと思います。
■被爆三世として「いつか後世に遺せる原爆にまつわるドラマを」
――岡光さんにとって、最も影響を受けたテレビ番組は何ですか?
明石家さんまさんの『さとうきび畑の唄』(TBS)です。中学生のときに見たのですが、その後の修学旅行が沖縄で。さんまさん演じる父親の「私はこんなことをするために生まれてきたんじゃない」というシーンの映像がトラウマのように頭にこびりつき、忘れられない作品になりました。
また、私は広島出身で被爆三世なんです。『さとうきび畑の唄』から感じた「戦争を経験した上で私たちはどう生きるか」というメッセージが非常に強く心に残っていて、幼少期から祖父や被爆者の方から聞いてきた戦争体験を生かし、後世に遺(のこ)せるような原爆にまつわるドラマをいつか作ってみたいです。
――ネット配信が盛り上がってる今、岡光さんが考えるテレビの役割とは。
最近で言いますと『silent』(フジテレビ)などテレビから火がついたトレンドもありますし、「まだまだテレビは面白い、テレビっていいな」と思ってもらえるように、テレビの新しい姿を見せ続けていく必要があると思います。そして、地上波放送で終わりではなく、配信や海外市場にちゃんと売れる、クオリティの高いものを作っていかなければならない。
また、テレビドラマは短時間でクオリティの高いものを作る強さもあります。こうした瞬発力や技術力は映画畑の方などは驚かれますし、映像技術が培われていく場としての価値はあるのかもしれません。
――楽しみにしています。最後に、気になっている“テレビ屋”を教えてください。
TBSスパークルの新井順子さんです。何度かお会いさせていただいていますが、気概があって、ポジティブな空気をまとっていらっしゃって、確固たる軸があって、明るくて、フットワークが軽くて、とにかくかっこいい。憧れのプロデューサーです。社会問題をエンタメとして昇華させドラマにする手腕に感銘を受けており、いち視聴者として新井さんが手がける新作をいつも心待ちにしています。
- 次回の“テレビ屋”は…
- 『下剋上球児』TBSスパークル・新井順子プロデューサー