――テレビの構成作家としてターニングポイントになった番組は何ですか?
『はねる』とか『トリビア』とか初期の番組ですね。あとはやっぱり『ゴッドタン』(テレビ東京)。僕はテレビ作家として売れていくってことはあんまりゴールとしてなくて、自分がやりたいことがその都度あって、10年周期くらいに変わっていく。最初はテレビ作家として成立させたいというのがあったから、『はねる』や『トリビア』でテレビの作り方を学べた。それが第一段階で、自分のやりたいことは何だろうと改めて考えたら、シチュエーションコメディみたいなことをやりたいと思って『epoch TV square』(BS日テレ)とかができて、『ガキの使い(ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!)』(日本テレビ)みたいな番組をやりたいと思っていた時期に参加できたのが『ゴッドタン』なんですよね。
――やはり『ゴッドタン』の佐久間宣行さんとの出会いは大きかったですか?
そうですね。最初に出会ったマッコイさんや『30minutes』(テレビ東京)などを一緒にやった大根(仁)さんは、テレビの先輩として教えてもらうという感じでしたけど、佐久間さんや『ウラ日テレ』で一緒だった安島(隆)さんとは同世代だし、“同志”という感じが強いですね。
佐久間さんはテレビ東京の人だったということもあるのか、視聴率に左右されない。会議でもほぼほぼ視聴率の話をしたことないですから。テレビ人としてどうなんだってことはありますけど(笑)、新しいカルチャーを取り入れようという感覚が一致しているんですよね。雑誌とかが置いてあって今何が流行っているんだっていう話から入る会議が多いんですけど、佐久間さんの番組の会議は、この間見た演劇がどうだったとか、この音楽が良かったとか、基本、暇な大学生たちが自分の持っているカルチャーをぶつけ合う感じ。
――それは今も変わらない?
佐久間さんは変わらないですね。どこでそんな時間を作ってるか知らないですけど、サブカル知識マウントを取ってくる(笑)。だからもう最近何が面白いんだっていうのは佐久間さんに聞いたほうが手っ取り早いっていう。
■最終的に監督業はもっとやりたい
――コントを書く能力はもちろんだと思うんですけど、元芸人だからこその強みを感じることはありますか?
元芸人の作家ほど、お笑いに対して「僕なんて」という姿勢を取る人が多い気がしますね。やっぱ元芸人である以上、現役の芸人さんから「俺たちの世界で通用しなかったやつが、なんでお笑い語ってんの?」っていう目線で見られているようなコンプレックスがあるんですよ。だからあんまり元芸人ということで良いと思うことはないですね。
――とはいえ今や、かが屋さんがオークラさんに会えたうれしさで泣いてしまうほど、若手芸人が憧れる存在になっています。
僕らの時代って放送作家の評価の指針として、「レギュラー番組何本やっているか」っていうのがあったんですよ。作家ってなんでも屋みたいなところがあるんですけど、その分、選ぶ番組で自分のブランディングができるんです。僕の場合、意識的にそれをやっていた部分があって、あまり余計なことをせずに、自分の活動をハッキリさせる。そうすると同じような意識を持った人が、だんだん注目してくれる。だから、かが屋みたいなお笑いが好きな人が僕の名前に行き着いてくれたんだと思いますね。
――今、テレビの仕事を選ぶ基準は?
今は2つあります。自分のコメディをどういう形で見せることができるか。それができないものはもうあまりやりたくない。あとはお金を稼ぐため(笑)。といっても、お金のためにあんまり幅広くやることはしないと思います。
――最近では『ドラゴン桜』(TBS)のように連続ドラマの脚本も手がけられました。
テレビドラマもバラエティと同じところがあって、意外にターゲットというのがハッキリしていて、そのターゲットがちゃんと喜んでくれるものを投げなきゃいけない。けど、バラエティよりも作家がやりたいことを反映させられるパーセンテージが高いから楽しかったですね。
――『漫画みたいにいかない。』(日本テレビ)では監督もされましたね。
やっぱりテレビは監督・演出のものだと思うんですよね。最終的に自分はこれでいくとハンコを押していい人。『漫画みたいにいかない。』ではウェス・アンダーソンの世界観で、シチュエーションコメディをしたらどうなるのかなと思って作ったんです。脚本までだと、監督が撮りたい撮り方になっちゃうけど、もっといろいろ遊びたい。だから最終的には監督業はもっとやりたいなと思ってますね。