――これまで様々な制作者とお仕事をされてきたと思いますが、特に印象的な方を挙げるとどなたになりますか?
やっぱりテリー伊藤さんですね。ロコモーションで過ごした時間は3年と長くはありませんが、『浅草橋ヤング洋品店』の会議で、「ヒッピーをヤッピーにする」っていう企画を伊藤さんが突然言い出したときは衝撃でした。ヒッピーとはホームレスの方で、一流のカリスマ美容師とトップスタイリストの手によって、ニューヨークのヤングビジネスマン、ヤッピーに変身させるという企画でして。僕その担当になったんですが、ロケ当日にADさんから電話かかってきて「すいません、予定してたヒッピーさんが公園からいなくなっちゃいました!」と焦ってて。それからはADがワンカップ大関を大量に用意して、朝まで一緒にずっと飲んで確保し、そのままロケに突入するっていうマニュアルが生まれたんですけど(笑)、あれは衝撃の企画でタイトルも秀逸だと思いました。
もう1人は、『おしゃれカンケイ』(日本テレビ)の演出兼プロデューサーだった高木章雄さんです。「ミッチー・サッチー騒動」の渦中に野村沙知代さんをブッキングしたら、その回だけ1社提供のスポンサーさんが降りて、スポンサーなしのOAという前代未聞の事態になってしまったんです。そこで、収録台本を2パターン用意してと言われて、1つは通常の台本で、もう1つはある程度撮れ高が見込めたらサッチー(野村沙知代さん)をわざと怒らせて帰らせるというもの。収録の流れを見てどっちにするか判断するということだったんですけど、怒らせるパターンを選んで、古舘(伊知郎)さんもそのモードになって、サッチーが怒って帰っていったんです。でも、すぐ戻ってきて収録を再開したんですけど、トーク番組でそんなアグレッシブなことしていいんだと衝撃を受けて、とても勉強になりました。「アバン(=オープニング映像)で使うためにサッチーが帰る強い画」を絶対撮りたかったんだと思いますけど、そのスピリッツがすごいと思いましたね。
――これまで堀江さんが手がけてきた企画を伺っていると、「真剣勝負」や「ガチ」というキーワードが浮かびます。
何か圧がかかって、演者さんの表情が変わっていく番組が好きなんです。追い込まれた状況で、設定されたバーを越えられるかみたいな企画ですね。越えたときのカタルシスが見たいだけなんですけど。
――現在のご担当で、そうしたアイデアが一番出せるのはどの番組ですか?
今のテレビは、圧迫面接みたいな番組はなかなか受け入れにくいものがあるので、担当してる番組では難しいですが、1つやりたい企画があって。簡単に言うとホスト版『¥マネーの虎』なんですけど、女性のお金で成功を収めたNo.1ホストたちが、貧困女子たちの不憫な話を聞いて、人生の奨励金として財布からお金を渡すという内容です。気前よく現金を渡すホストが売名とか偽善とか言われちゃったり、全然財布を開かないケチなホストがいたり、『¥マネーの虎』のような対峙(たいじ)した構造でいろんな感情が描けそうな気がします。これをMC・ローランドさんで(笑)
――現在は『世界一受けたい授業』(日本テレビ)、『プレバト!!』『日曜日の初耳学』(MBS)、『アイ・アム・冒険少年』(TBS)、『千鳥のクセスゴ!』(フジテレビ)と、地上波の人気番組を多数抱えていらっしゃいますが、配信のお仕事もされているのですか?
YouTubeで1つだけ新木優子さんの旅番組『あらきあるき~jalan jalan~』というのをやってます。『プレバト!!』と『初耳学』で一緒に仕事をしているMBSの水野(雅之)ディレクターから「新木さんのYouTubeやりませんか?」と言われて、僕はガストのCMで新木さんを猛烈に好きになって、「自称・日本一新木優子ファンの放送作家」なんですが、喜んで企画書を作りました。そして通ったんですが、基本的に旅番組で、ディレクターの皆さんは現場で新木さんと楽しそうなんですけど、作家は仕組みとタイトルを考えたら特にやることもなくて。呼ばれてもいないですけど、今度勝手に現場に行こうかと思ってます(笑)
■「通りそうな企画」より「ギリギリ通らなそうな企画」
――テレビを中心にお仕事をされる中で、最近は「オワコン」と言われることもありますが、その役割はどう見ていますか?
僕自身もそんなにテレビを真剣に見てるかと言われるとそうでもなくて、配信で韓国ドラマばかり見てますが、リアルタイムだとよほど見なきゃいけない動機がないと付き合ってもらえない気がします。でも僕の考えが甘いのかもしれませんが、そんなに危機感もなくて、OAは見ずともTikTokとかで番組の切り取った映像に触れる人もいるので、愚直に面白い番組を作るしかないですかね。
――今後こういう番組を作っていきたいというものはありますか?
僕、20代とか30代のときに考えた企画を全部保存してあるんですけど、それを読み返してみると、今なら行けそうだなというのがあります。当時は荒くて成立してなかった企画も、年取って知恵がついた今の自分なら形にできそうで、それを改めて通せないかなと思って、日々考えていたりします。
――先ほどの『マスクマン!』も、まさにその話ですね。
僕は「通りそうな企画」より「ギリギリ通らなそうな企画」「成立してるかやってみないと分からない」っていうものばかり考えてるので、基本あまり企画が通りません(笑)。でも、これからもしつこく出し続けたいと思います
――『¥マネーの虎』を通してくれた土屋さんのような方といかに出会えるかというのも、大事なんですね。
そうですね。そーたにさんもおっしゃってましたけど、企画を選んでくださる方との縁も大きいと思います。
――ご自身が影響を受けた番組を挙げるとすると、何でしょうか?
テリーさんの番組で『とんねるずの仁義なき花の芸能界全部乗っ取らせていただきます』(日本テレビ)っていうのがあったんですけど、その中のドッキリが史上最高傑作だと思ってるんです。海辺の崖の上に番組が作ったコテージがあって、そこに落語家の鈴々舎馬風師匠がいて、ものすごい怖い顔の噺家さんなんですけど、外に30人ぐらいのボディビルダーが現れて、コテージを担いで斜めにすると、中にワックスがこぼれてヌルヌルになって、そのまま馬風師匠が海に落ちるっていう(笑)。ボディビルダーの正しい使い方を知ったのと、ドッキリのターゲットはコワモテであるほど面白いということを学びました。
それと『お笑いウルトラクイズ』は、僕が学生時代一番やりたいと思っていた番組です。ヘリコプターから縄ハシゴがぶら下がってて、そこに早押しボタンがあって林家ペーさんがそれをつかむと、そのままヘリが上昇してはるか遠くに飛んでいっちゃう(笑)。ただそれだけなんですけど、テレビってこんなスペクタクルなことをしていいんだと思って、すごい可能性を感じました。
――その番組に作家として入れたのはうれしいですよね。
番組のエンドロールの「構成」に、初めて出たのが『お笑いウルトラクイズ』だったんですけど、スージー・クアトロの「ワイルド・ワン」のエンド曲とともに自分の名前が流れたときは、本当にうれしくて泣きそうになりました。その頃の初心を忘れないようにしたいです。
――いろいろお話を聞かせていただき、ありがとうございました。最後に、気になっている“テレビ屋”を伺いたいのですが…
ディレクターの椎葉宏治です。『リンカーン』(TBS)の総合演出を務めていた男で、最初は『ねる様の踏み絵』(同)のADの頃に知り合いましたが、そこから一番長く付き合っているディレクターですね。最近は東野(幸治)さんと登山ばっかりして、今や完全に冒険家ディレクターなんですけど、この先どこに向かっていくのかを聞きたいです。