注目を集めるテレビ番組のディレクター、プロデューサー、放送作家、脚本家たちを、プロフェッショナルとしての尊敬の念を込めて“テレビ屋”と呼び、作り手の素顔を通して、番組の面白さを探っていく連載インタビュー「テレビ屋の声」。今回の“テレビ屋”は、『全力!脱力タイムズ』で制作総指揮、『千鳥のクセがスゴいネタGP(クセスゴ)』(いずれもフジテレビ)で総合演出・プロデューサーを務める名城ラリータ氏(フジクリエイティブコーポレーション)だ。

『笑っていいとも!』『SMAP×SMAP』とテレビ史に名を残すバラエティで貴重な経験を積み、「演者に合っているか」を第一に企画を考えるという同氏。『脱力タイムズ』の有田哲平(くりぃむしちゅー)や『クセスゴ』の千鳥と、どのような意識で向き合っているのか――。


■出演者のリハより一般応募のオーディションを優先

『全力!脱力タイムズ』『千鳥のクセがスゴいネタGP』名城ラリータ氏

名城ラリータ
1976年生まれ、沖縄県出身。日本大学芸術学部卒業後、00年にフジクリエイティブコーポレーション入社。フジテレビのバラエティ制作センターに配属され、『笑っていいとも!』『SMAP×SMAP』『ココリコミラクルタイプ』『もしもツアーズ』『全国一斉!日本人テスト』『オモクリ監督』(フジテレビ)、『有田P おもてなす』(NHK)、『冗談騎士』(BSフジ)などを担当。現在は『全力!脱力タイムズ』で制作総指揮、『千鳥のクセがスゴいネタGP』で総合演出・プロデューサーを務める。

――当連載に前回登場した『MUSIC FAIR』『FNS歌謡祭』の松永健太郎さんが、ラリータさんについて「一緒に『スマスマ(SMAP×SMAP)』でダブルチーフADみたいな感じのときもあったり。昔から仲良いんですけど、(ラリータ氏の妻・ギャル)曽根ちゃんが、僕とラリータがそろうと嫌みたいなんで、最近は年1回くらいしか遊んでないです(笑)」とおっしゃっていました。

就活のときに出会って、一緒に飯食いに行ったんですけど、その後別々の会社に入って2人ともフジテレビの同じ班に派遣されて、「あっ!」って再会したんですよ。コロナになるまでは年に数回、一緒に飲みに行ってたんですけど、妻に言うと「えっ、大丈夫?」「変な女いないよね?」って心配されます(笑)。でも、戦友ですね。飲んでいても仕事とは全く関係ない話題で盛り上がれる同業者です。

――最初に配属された番組は、何だったのですか?

『笑っていいとも!』です。もともと『ハートにS』(フジテレビ)とか『3番テーブルの客』(同)とかが好きでドラマをやりたかったんですけど、『いいとも』に入ってまるっきり変わったんです。ハラハラすることが毎日あって、仕事というのを忘れて楽しくなっていっちゃったんですよ。入って1~2カ月経った頃には、ここでいろんなものを突き詰めたら楽しそうだなと思いましたね。

――やはり『いいとも』で学んだことは大きいですか?

そうですね。何がすごいって言うと、タレントさんとディレクター、ADだけじゃなくて、マネージャーさん、一般のお客さんを誘導する警備の方、アルタに常駐するカメラマンさんなどのスタッフとか、みんなが毎日一致団結して作ってるんですよ。それが連絡し合うというよりも、「あれはこうだよね」「そうだよね」と口に出さなくても分かっていて、その一番上にタモリさんがいるという関係。これは一番最初の横澤(彪プロデューサー)さんとか、改革した荒井(昭博プロデューサー)さんとか先人の皆さんがいろんなところで試行錯誤しながら作った土台だと思うんですけど、あれは二度と味わえないと思いますね。

例えば、「楽屋貼り」(※楽屋の入口に貼ってあるタレント名の掲示)ってタモリさんとレギュラーはフリップでストックしてあるんですけど、「テレフォンショッキング」のゲストはADがカンペを半分に折って手書きで作るんですよ。その書き方を「きれいじゃなくていいから、気持ち込めて書け」ってすごく注意されるんです。ついこの前まで学生だったんで「知らない人の名前を気持ち込めて書くって何だよ」とか思うんですけど、そのゲストの方からしたら、自分だけ手書きなわけじゃないですか。「今日は『いいとも』だなあ、緊張するなあ」ってアルタに来たときに、気持ちの入った字で自分の名前が書いてあったら、ちょっとでも喜んでくれるじゃないかって。

――細かい心遣いが継承されているんですね。

当たり前のことではあるんですけど、パッとできることじゃなくて、長く続けることによってそういう考え方が生まれるんですよね。他にも、コーナーに参加する一般の方へのケアについて、めちゃくちゃ注意されました。先輩ADから「オーディションに受かった人だけじゃなくて、落ちた人が大事なんだ。俺らの対応が良ければ、家に帰って家族に『落ちちゃったけどめちゃくちゃ楽しかったよ! アルタって狭いんだよ!』って喜んで話してくれれば、またファンになってくれる」って言われましたね。だから、そっくりさんコンテストなんて、全然似てない人が200人くらい来るんですけど、その人たちを事前に弾かずに、全員アルタの舞台に立ってもらうんですよ。「ここにタモリさんが立ってるんだ」っていう気持ちをお土産に持って帰ってもらうんです。

――どんなに時間をかけても。

200~300人が集まるときは朝9時からオーディションをやるんですけど、11時40分くらいまでかかるんですよ。それが終わって急いでタレントさんに来てもらって3分くらい説明して準備するんです。タレントさんには失敗しても「すいませんでした」って謝れるけど、一般の方には二度と謝れないから、その“一期一会”を忘れるなというのはよく言われました。

僕らって、ディレクターとADと放送作家さんと場合によってプロデューサーと会議室で話すけど、自分たちの力だけじゃ成立しないから、演者さんや他の人の力を使わなきゃいけないんですよ。だから、制作スタッフたるもの、第三者の人に対してどういう風に思いを伝えられるかが大事だというのを『いいとも』で一番学びました。

――『SASUKE』(TBS)の乾雅人さんも、『クイズ100人に聞きました』(同)の時代から、同様の理由で「オーディションや予選会から、皆さんを全力で楽しませる」ことを大事にしていると言っていました。

テレビっていろいろ言われてますけど、やっぱり大衆に向けてソフトを作るというのが、他のメディアと明確に違うところだと思うんですよね。それを先輩たちが作ってきたんです。やっぱり最初に作った人が一番偉いと思うんですよ。その土台を僕らが応用させてもらうことが多々あると思うので、テレビソフトっていうのはいろんな人の努力の結晶なんだと思います。

■あの冷静なタモリに熱弁されたこと

タモリ

――タモリさんとの印象的なエピソードを挙げるとすると、何でしょうか?

僕が『全国一斉!日本人テスト』という番組を立ち上げたんですよ。ゴールデンの番組なので、当時こういう場合は演出に局員を入れるのが普通だったんですけど、プロデューサーの石井浩二さんが「これはラリータが考えた番組だから」と言ってくれて、総合演出をやらせてもらったんです。若くて熱い気持ちがあれば何でもできる、と勘違いしていて、その当時『いいとも』の水曜日も担当していたんですけど、タモリさんにものすごく熱いプレゼンをしてたら、「お前は熱すぎるから、そんなディレクターはダメだ」って言われて(笑)

――(笑)

僕『いいとも』でも、当時1人だけ局員じゃないディレクターだったんですけど、その後、年に1回あるスタッフがタモリさんを囲む会で、みんなでボウリングしてお酒飲んでどんちゃん騒ぎするんですね。そのときに「そんなに熱くなるな」って言ってたタモリさんが、「お前みたいに外部から来てる人間がほとんどなんだから、お前は背中を見られてると思って頑張れ」って、僕より熱い話をめちゃくちゃしてくれたんですよ。それがもうカッコよくて!

――タモリさんのそういうお話、なかなか聞かないですね。

お酒が入ってたのもあると思うんですけどね。タモリさん以外でも、『いいとも』の演者さんってみんなすごいんですよ。『いいとも』って曜日担当のディレクターはサブ(=副調整室)にいて、客席の最前列のど真ん中にいるADがカンペを出してインカムを付けて進行をやってるんです。僕、それがすごい好きで、もちろん時間が押したらどこをカットするかとかはディレクターが考えるんですけど、ADからも提案して、それがスタッフとしてステップアップになるんです。

そのときにすごいなと思ったのが、「ご先祖さまはスゴイ人!」ってクイズコーナーがあって、爆笑問題の太田(光)さんがいつもボケて、普段だったら一番最後に落とすんですけど、ある日、そのときの流れで太田さんが最初に答えたほうがいいなと思って、「太田さんから」ってカンペ出したんですよ。そしたら東野(幸治)さんが本番中に「違う」って意思を見せたんですね。で、生放送が終わった後に東野さんの楽屋のほうに行ったら声をかけられて、「あそこで太田さんから行くのは俺もそうだと思う。でも、カンペで『太田さんから』って出すと他の演者さんに太田さんから行くってバレるから、できれば目で合図してくれ」って言われたんですよ。『いいとも』っていつも一流の人が集まってる場所じゃないですか。その人たちは、生放送でどうやっていくかというのを常に計算されているので、演者の空気を変えないように考えなきゃいけないんだと。そういう細かいところまで教えてもらいました。

――ライブ感を大事にするんだと。

そうですそうです。そういう細かいことから大きなことまで、いっぱい学びがあったんです。だから、最初に『いいとも』に入れたのが本当に幸せでしたね。違う番組だったら、辞めていたと思います。