注目を集めるテレビ番組のディレクター、プロデューサー、放送作家、脚本家たちを、プロフェッショナルとしての尊敬の念を込めて“テレビ屋”と呼び、作り手の素顔を通して、番組の面白さを探っていく連載インタビュー「テレビ屋の声」。今回の“テレビ屋”は、『水曜日のダウンタウン』(TBS)であの「おぼん・こぼん企画」を担当し、『さんまのお笑い向上委員会』(フジテレビ)の総合演出を務める池田哲也氏だ。

おぼん・こぼんの最悪なムードからまさかの仲直りや、芸人たちの戦場で繰り広げられるカオスなど、奇跡が起こる現場に立ち会ってきた池田氏。そのエピソードや、これまでのテレビマン人生を語る中でたびたび飛び出すのは、「怖い」という言葉だった――。


■『27時間テレビ』へ地獄の準備の岡村隆史に密着

『水曜日のダウンタウン』『さんまのお笑い向上委員会』の池田哲也氏

池田哲也
1980年生まれ、兵庫県出身。近畿大学卒業後、『めちゃ×2イケてるッ!』(フジテレビ)のADとなり、以降『ふくらむスクラム』『FNS地球特捜隊ダイバスター』『マツコの部屋』『爆笑!大日本アカン警察』(フジ)、『クイズ☆スター名鑑』(TBS)などを担当。現在は『水曜日のダウンタウン』(TBS)でディレクター、『さんまのお笑い向上委員会』(フジ)で総合演出、『イタズラジャーニー』(同)で演出を務め、4月19日(19:00~)放送の特番『ピンチからの挑戦状(笑)』(同)も演出する。

――当連載に前回登場したディレクターの斉藤崇さんが、池田さんについて「仙台の番組を一緒にやったことがあって、ロケをいかに早く終わらせて最終の新幹線まで飲むというのをいつもやってたんですけど(笑)、今一番忙しいんじゃないかと思うくらい脂が乗ってるし、おぼん・こぼんさん以外でもフジテレビの番組もいろいろやっていると思うので、これからさらに注目されてカリスマになってほしいなと思いますね」とおっしゃっていました。

どういうメッセージなんでしょう(笑)。仙台では、10年前くらいにアイドルグループとアルコ&ピースの番組をやっていて、1日に2~3本撮りきらないとダメだったのでベテランの斉藤さんに手伝ってもらってたという感じですね。毎度、ギリまで駅の寿司屋で飲んで超ダッシュで最終に乗り込んでました(笑)

――この業界にはどのように入られたのですか?

僕、あんまり大学にちゃんと行ってなくて、何も考えずに生活してたんですけど、気がついたらみんな就活しだして、一緒に遊ぶやつが少なくなってきて。このまま卒業して、ふざけて遊べる人が周りにいなくなったらちょっとマズいな…と思って、もっといっぱい面白い人がいるところに行かなきゃと思ったのがテレビの世界だったんです。ただ、自分が通用するか分からないので、ずっと聴いていた『ナインティナインのオールナイトニッポン』(ニッポン放送)にハガキが読まれたら神戸から上京しようと思ったんですよ。ハガキ職人から(放送)作家になる人が多いというのを聞いてたので。

それで1~2カ月くらい送っていたら自分の書いたハガキが読まれたので、「とりあえず東京行くか!」と思って夏のリゾートとか冬のスキー場とか一気にお金が集まりそうなバイトをして、卒業後に何も決めず勢いで上京しました(笑)。適当に風呂なしボロアパートを借りて、1週間生活していると『B-ing』(求職雑誌)でマスコミ特集が出ると知って。作家へのなり方が分からなかったので、とりあえずADでも何でもテレビの世界に潜り込めりゃいいや!と思って制作会社に応募して受かって。その派遣先が『めちゃイケ(めちゃ×2イケてるッ!)』(フジテレビ)のADで…。ナイナイさんのラジオきっかけで上京したので、びっくりしましたね。

――応募したときは、『めちゃイケ』へ派遣している制作会社だと知らなかったのですね。

2社受かって、1つはリサーチ会社だったんですけど、もう1個の会社はフジテレビで働けるということだったので、当時のフジテレビってやっぱりすごいじゃないですか。なので、そっちの会社に入って、中嶋(優一)Pのところに面接に行って。

――『めちゃイケ』は大変な現場だったとよく聞きます…。

ADを5年やったんですけど、とにかくめちゃくちゃしんどかったですね(笑)

――その中でも印象深い企画は何ですか?

2004年の『27時間テレビ』に向けた、岡村(隆史)さんとの1年間のボクシングジム通いです。他の企画も常に激しく稼働してる番組だったので、途中からAD2~3年目の自分が小さいカメラ持って、死ぬほど苦しい練習を黙々とこなす岡村さんの姿を撮ってました。画撮りはめちゃくちゃ下手くそでしたけど…。OAではさほど描かれない地獄の準備をする岡村さんはやっぱりすごいなと。そしてこの1年間、企画を黙って遂行する(総監督・片岡)飛鳥さんへの信頼も本当にすごいな、すごいチームなんだなと思いました。

たまにジム帰り、岡村さんがご飯に誘ってくれたのはめちゃくちゃうれしかったですね。で、いろいろ思うこともあって5年で番組を離れることになるのですが、最後に楽屋挨拶に伺った加藤(浩次)さんには「テメーだけはやめねぇと思ってたけどな!」、矢部(浩之)さんには「このあと時間あるか?」と、カラオケに連れて行ってもらい大騒ぎさせていただきました。おふたりなりの温かいエールを送ってくれていたのかな?と勝手に解釈しています。

■マツコ・デラックスからロックオン状態

――そこからまた別の番組に移っていくんですね。

特番でいくつかディレクターをやらしてもらえるようになって、『(FNS地球特捜隊)ダイバスター』(フジテレビ ※1)が、レギュラーで初めてがっつりディレクターをやった番組だと思います。

(※1)…来たるべき知的生命体からの質問に備え、あらゆる謎を調査解明するために組織された機関・ダイバスターの活躍を描く……という設定でくだらない検証や実験を行う番組

――遠藤達也さん(※2)のところに。

『めちゃイケ』のディレクターだった近藤(真広)さんが、総合演出をやっていた『はねるのトびら』でドッキリに慣れてる騙し役のディレクターが欲しいということで電話をくれて、お手伝いしに行ったら遠藤さんがいたんです。そんなに絡んだ記憶はないんですけど、それから『ダイバスター』に呼ばれた感じですね。

(※2)…『月曜から夜ふかし』の「言われてみれば見たことないものを調査した件」や、『寺門ジモンの取材拒否の店』『ろみひー』などで知られるディレクター

――『ダイバスター』大好きでした! やっぱりくだらない調査を考える会議は楽しかったですか?

楽しかったですね。でも、ほぼほぼ遠藤さんの脳みその中にあることをやるという番組だったんですよ。遠藤さんが「うーん。これは俺もどう撮ったらいいか分かんないなあ。面白く撮ってきてよ!」とか言われて、探りながら撮ってくる感じでした(笑)。『めちゃイケ』の飛鳥さんは会議で理論立てて、細やかなところまで徹底的に作ってたんですけど、遠藤さんはひらめきと「会議飽きちゃうなあ」みたいなノリだったので、びっくりしましたね。同じ天才でも考え方は全然違うなと思いました。

マツコ・デラックス

――『ダイバスター』の後番組で始まった『マツコの部屋』で、池田さんはマツコ・デラックスさんとがっつりやり取りされていました。

「マツコさんが満足するVTRを見せる」という番組だったんですけど、そのスタジオ進行を出役でやってましたね。台本がないからめちゃめちゃしんどくて、嫌でしたね(笑)

――完全にマツコさんにロックオンされている状態でしたもんね。もう千本ノックという感じでしたか?

はい。あの番組では、本番までマツコさんに会わないようにしてたんですよ。本番でいきなり会うほうが怒られやすかったので(笑)。あと、地図付きで僕の家の住所とか出されてるし(笑)、変な情報を与えると何をしゃべられるか分からないっていう恐怖感もあったので。

――それがOAされたってすごいですよね(笑)

近所の焼き肉屋の人に「家近いですもんね」って言われたり、何回か家の近くで声をかけられたときは「怖ー!」って思いましたよ(笑)

――その後は、どんな番組を担当されていったのですか?

ダウンタウンさんの『(爆笑!大日本)アカン警察』(フジテレビ)をやらせてもらったりしました。子供の頃から死ぬほど影響を受けてきたダウンタウンさんに「会える!」ってなったときは、初めて親に仕事のことで電話したかもしれません(笑)。そして今は、『水曜日のダウンタウン』もやらせてもらって、いまだに信じられないですね。まだ入って2~3年しか経ってないんですが。

――そうすると、おぼん・こぼん師匠の企画は比較的入ってすぐに担当されたんですね。

そうですね。