――現在、燃え殻さんは会社でどのような業務に携わってるんですか?

今はほとんど現場を離れて、人事とか新しい事業の企画をやっています。以前、本の関係で『ゴロウ・デラックス』(TBS)にゲストとして呼ばれたんですが、あの番組はうちの会社も美術で入られせていただいていたので、自分の中で、ねじれた現実感がすごかった。『インセプション』くらい歪んでました。

――たしかに(笑)。でも、ご自身としてはテレビ美術制作会社の社員と小説家、どちらのほうが性に合ってる感覚があるんですか?

どっちも向いてないことやってるなと、思ってます。

――えっ!?

向いてないから、「ヤバい」て気持ちを原動力でやれてるな、と。向いてる仕事に就いたら、自分みたいな人間できてないヤツは、すぐ舐めてすぐお払い箱だと思います。「なんかわかった!」みたいなことをすぐ言う浅はかな人間は、向いてない仕事に就くことをオススメします。

元々怠け者で働くことが好きじゃないし、社会性も斜め読みぐらいしか理解できてない。「石の上にも三年」と言いますが、僕、21年ぐらいやって分かったんです。向いてねーなって(笑)。向いてないから慣れないから、うかうかサボれないんですよ。だから続けられたんだなって。

――それでも、だんだんやりがいになってくるんですか?

やりがいとか考える暇なかったから続けられたんだと思います。それでもあるテレビのレギュラーの仕事が決まったときに「夢がかなった!」って口走ったんですよ。その時に思いました。夢なんて後付けだなって。夢とかやりがいとか、後からほんのり香るぐらいなもんで。あんまり最初から「自分のやりがいってなんだろう」とか「俺が本当にやりたいことは?」なんて考えなくていいと思うんです。

「フリップの納期は今日の16時ね!」「はい、次。小説は19時で!」みたいな感じ。感覚的には。どんな仕事もオーディエンスの数は違えど、表現することだと思うんで。目の前のクライアント、見えないオーディエンスを満足させることを真剣に考えるって話のような気がします。でも怖いです。本当に怖い。夢に見るくらい怖い。怖いが原動力なほど怖い。

――テレビがバブルのときも、「怖い」という思いを持っていたんですか?

もともと、浮かれたようなところで生きてこなかったので、番組の打ち上げが赤プリ(赤坂プリンスホテル)なんてことがあったんですけど、「怖い!」こんなの続かないって思ってました。会場に入るときに当時最新の4万円くらいするMDウォークマンを全員に配ったり、現金つかみ取りとかやってて、そばにいた知り合いのADの子が「こういう日常を送りたいからこの業界に入ったんですよ!」って言ってたけど、自分は本当にただ怖かった。怖いから今のうちに手を打たなければと、テレビ以外の仕事を取る営業を始めてました。赤プリは、死ぬまで覚えてるぐらいドン引きしたんで。

――どこか引いてしまうところがあるんですね。

この前、女性誌に「今エモい小説家」って紹介されたんです。その1は、ありがたいです。その2は、潮干狩りができるくらい引きました。そんなもん続くわけないじゃないですか。でも今面白がってくれる人がいれば、それに応えるということもテレビの世界の隅で学んだ。

――来る者は拒まずという精神が身についているのでしょうか?

そうですね。受注体質ですから。テレビの美術制作なんて、受注産業の最たるものです。ADさんに怒鳴られるのが僕らの仕事なので、断るとか基本的にはありえない。「間に合う」か「間に合わせるアイデアはあるか」という選択肢しかない。今は改善されましたけど、「間に合わない」なんて、努力が足りないって言われておしまいだから。でも、そんな場所で20年近く僕は生きてきたので、「書けよ」って言われたら小説も書く。「もういい」って言われたら「お疲れさまでした」ってなるんだと思ってます。

――でも、今は小説をきっかけに次から次へと新たなお仕事を“受注”されていますよね。

普通、40歳くらいになってきたら、頂いた仕事は「昔のあの仕事に近いな」みたいなことがあるじゃないですか。それがほぼまったくない(笑)。著名人とのトークイベントとか、NHKで宇垣美里アナと番組をやるとか、歌舞伎役者の中村鴈治郎さんの朗読会の原作を書くとか、異次元の受注を受けてます。そんなの40超えていきなりやったら死にますよ(笑)。でも僕の中で一番のアウトは、「それはできません」ですから。

  • NHKの特番『図解デ理解 アイマイカイワイ』の会見より(左から 長井短、千葉雄大、燃え殻氏、宇垣美里)=2019年4月23日

――それでも断らない“受注精神”はすばらしいですね。

テレビ美術の制作会社のはずなのに、ADさんから「大きい分度器貸してください」とか、「カッター100本ありますか?」とか、アラビア語みたいな文字を送ってきて「これ訳してください」とか、「この時代の人類って何が主食だったんですかね?」とか聞かれるんですよ。「うちを何だと思ってるんだ!」って思いつつ、アラビア語をなんとか解読しようしたり(笑)

■今の会社を辞めるつもりは「全然ない」

――小説を書くのは、どんな経緯だったんですか?

ひょんなことから知り合った小説家の樋口毅宏さんと飲んでいて、「おまえ、小説書かなかったら絶交だ」と飲み屋で突然言われて、「あ、発注がきた」と思ったってことです(笑)

――それでも、小説なんて誰でも書けるものじゃないじゃないですか。

アラビア語だって誰でも解読できるわけじゃないし、カッターもすぐに集めるの誰にもできるもんじゃないですよ(笑)。自分の中で、種類は一緒でしたね。

――最初はTwitterが注目を集めましたよね。あれも頭をひねって書くわけですから、文章を書くのがもともと好きではあったんですか?

僕はずっと深夜ラジオを聴いてたんですけど、番組に送るハガキって書ける面積が決まってるじゃないですか。その中で起承転結をつけてDJに読まれたいということをやるんですけど、それって(Twitterの)140文字と近いなと思って。そういう感じで捉えてましたね。それに、女子高生とか、青森のサラリーマンとか、全然違う世界の人たちが「面白い」とか「おまえ、それ間違ってる」とか反応してくれる世界が、僕にとってはとてもフレッシュで、楽しいなと思ったんですよね。今は、殺伐としちゃってるところがあるけれど。

――小説をきっかけにマルチに活動されていますが、今の美術制作会社を辞めて、そちらに本腰を入れていくというお考えはありますか?

全然ないですね。なんだろう、仕事が面白いっていうのもないし、絶望もしてないんですけど、今日も昼間に会議してて、本業の悩み、改善したい事案も尽きないんですよ。それに、21年いるから社員みんなの好みとか嫌いなこととか、すげぇ詳しくなってるんです。向こうも僕のみっともないこととか全部知ってると思うし。そういうことを共有できてるって、超大切ですよね。それを全部捨てて、新しいところでまた一つひとつ覚えていくのは、大変が過ぎますよ。

あと、「怖い」の対極にあるものは「安心」だと思うんですけど、カップラーメンの粉末や激安スイーツを作ってるときに、40歳を超えて仕事があると思ってなかったので、「安心」が得られているというのが大きいんですよね。

――IMAGICAに入ったばかりの燃え殻さんを誘ってくれた社長への恩義もあるんですか?

もちろん。 今、人事の仕事をやってますけど、あの頃の自分が面接に来たら落としますから(笑)。そんな人間を拾ってもらって感謝しかありません。