――今は半年に1回の特番放送ですが、レギュラー放送していた頃は、制作も大変だったんじゃないですか?
石原:90年の4月から毎週1時間に3本立てで制作して、納品もギリギリの状態が続きましたが、最初から9月で一旦終了というのが決まってたんですね。だから、そこまで走りきればひと息つけるという気持ちで走ってたんです。すると視聴率がどんどん上がって、「10月にスペシャルやれ」って言われて(笑)。もちろんうれしかったんですけど、当時の編成部長に「無理ですよ!」なんて言ったのを覚えてますね。それでも、小椋さんたちに「こうなったらやりましょう!」と話をして、2時間を5本立てでやりました。本当に時間のない中で作ったんですけど、今思うと至極の5本(※)で非常に完成度が高かったなと思います。
『絶対イヤ!』(主演・斉藤由貴)
『ミッドナイトコール』(主演・本木雅弘)
『そこに扉があった』(主演・沢口靖子)
『代打はヒットを打ったか?』(主演・伊武雅刀)
『幸福の選択』(主演・浅野ゆう子)
小椋:僕は『奇妙』をやってものすごい才能のある男に出会ったんですよ。それは今も共同テレビにいる星護という監督で、悔しかったんですけど、彼が撮った作品はどれも好きですね。当時、自分の作品の編集にめどがついたので、隣の部屋で星くんが編集してる様子を見たんですけど、その仕上がりにめちゃくちゃビックリしましたね。あまりの衝撃に「すごいやつがいます!」って石原さんを連れてきましたから(笑)。彼はドラマ畑の人間じゃなかったんですけど、僕のような助監督からずっとドラマ畑で育ってきた人間からすると、その才能に驚きましたし、うかうかしてられないなとも思いましたね。彼の作品の中で一番をあげるとすると、ジュディ・オングさんが主演した『女優』(91年)です。
――オムニバス作品で尺も短いので、新人の方がチャレンジしやすい環境なのでしょうか?
小椋:そうですね。15分弱のドラマ1本で勝負できるので、敷居が低いんです。中園ミホさん、北川悦吏子さん、戸田山雅司さんといった日本を代表するような脚本家の方々にも、まだルーキーの頃に参加していただきましたね。
石原:ある方に、フジテレビのドラマを支えているのは、「ヤングシナリオ大賞」(野島伸司氏、坂元裕二氏、野木亜紀子氏など輩出)と、この『世にも奇妙な物語』だと言っていただいたこともあります。小椋さんのおっしゃる通り、15分ワンアイデアで突っ走れるので、若い脚本家の方々の才能を生かしやすい環境なのかもしれないですね。それと、今だから言いますけど、共同テレビさんは『奇妙』が始まった当時、『ニューヨーク恋物語』のような木曜10時の大人向けの作品や、南野陽子さんや宮沢りえさんといったアイドルの方を主演にした作品など、連続ドラマでヒット作を連発していた制作会社でした。だから、新しく『奇妙』が深夜に始まっても、フル回転で余力のないドラマ班の人たちは見向きもしてくれなかったんですね。それで、星さんとか落合さんとか、情報番組やバラエティをやりながら、昔からドラマをやりたいと言っていた人たちが参加してくれたんです。共テレの大きなドラマ班の中の片隅に部室があって、そこに溜まってる連中というイメージがありますよ(笑)
小椋:ベテランの大監督に「ボーイスカウトみたいな連中が集まってるみたいだな」と言われましたよ(笑)
石原:あと、共テレの偉い人が、あの一角を“お気楽通り”って言ってましたよね(笑)
――ここまでのブランドを確立されている今からすると、考えられない状況ですね!
石原:そんな人たちが、後に連続ドラマに進出して映画も撮って活躍することになりますから、90年代の共同テレビは、まさに“お気楽通り”の人たちの時代だったと思いますね。それに、『奇妙』で考えた企画から、別の大きな番組や映画が生まれるということも、すごく多いんですよ。小椋さんが考えた短いプロットが、あれよあれよと言う間に終戦記念日の特番『NASA~未来から落ちてきた男~』(91年、三上博史・中井貴一ら出演)になりましたしね。
小椋:喫茶店で企画を思いついて、「石原さん、『奇妙』の脚本思いついたから聞いて聞いて!」って呼び出したんです(笑)。日系宇宙飛行士が地球に帰還するのに失敗して、原爆投下前日の広島にタイムスリップしてしまうという話でした。
石原:私もそれを聞いてめちゃくちゃ面白いと思って、(脚本家の)鎌田敏夫さんに持っていったら面白がってくれたんです。それで、小椋さんが監督で、僕と、遠藤龍之介(現・フジテレビ専務)、小牧次郎さん(現・スカパーJSAT取締役)、関口静夫さん(現・共同テレビ顧問)がプロデューサーとして制作にあたりました。ちゃんと調べたわけではないですが、おそらく今でも記録を破られていない、フジテレビで分数当たり最も高額の制作費を使った作品だったのではないかと(笑)
小椋:ご迷惑をおかけしました(笑)
石原:とんでもないです(笑)。他にも、ワンクールの連ドラそのものにならなくても、企画のきっかけになったり、そういう作品がたくさんありますね。
『奇妙』というおもちゃで遊んでほしい
――『世にも奇妙な物語』の作品に脈々と受け継がれているものをあげるとすれば、何でしょうか?
小椋:先ほど言ったように、どんどん新しい才能が入ってくるプラットフォームみたいな場所なので、何か固定の作り方あるわけではなく、いろんな人が集まって、この『奇妙』というおもちゃで遊んでくれればいいと思ってるんです。そのため、短い中で起承転結も含めてムダのない演出をしなければならないので、演出家は才能が試されますね。なかなか怖がって撮りたがらない監督もいるんですよ。
――星さんや落合さんがドラマ班でないところからの参加だったり、テーマ曲の蓜島さんがゲーム音楽中心に活動されていた方だったり、最新作(国仲涼子主演『あしたのあたし』)でもTHE YELLOW MONKEYなどのミュージックビデオを手がけてきた高橋栄樹監督が参加されていたり、いわゆる“異業種”の方が積極的に参加されている印象もあります。
石原:そういうところはDNAとしてあるかもしれないですね。当時映画を撮っていた飯田譲治さんも、ある日突然売り込まれてきたんですよ。後に『NIGHT HEAD』という巨大なストーリーになる作品の一部を切り取って『常識酒場』(92年)という作品を書いてくれたんです。