――そもそも神戸さんが萩本さんと出会ったのは?

昭和44(1969)年、僕はすごく古いですよ。日本テレビに井原高忠という大プロデューサーがいらして、彼が欽ちゃんと仲良くて『ゲバゲバ90分』とかに出てもらったりしていたんです。僕は『ゲバゲバ』のディレクターとしてをた齋藤太朗の下でやっていたので、そこからの付き合いですね。

――萩本さんのすごさはたくさんあると思いますけど、特に感じるのはどんなところですか?

萩本さんは「テレビの先がまだあるって思わせてくれるのが『仮装大賞』だ」ってうれしいことを言ってくださるんだけど、あの方こそ、全部「先」なんですよ。僕は欽ちゃんとドラマをやったことがあるんです。「欽曜ドラマ」っていって。そのときに欽ちゃんが言ったのが「ドラマは全部“横”だから“縦”にしたい」って。部屋の中を平面に見せるのではなく、1階から3階までつくって階段で上り下りして縦に見せる。ドラマでクレーンを使ったのは初めてだと思います。それが『Oh!階段家族』というドラマ。発想が全然違うんです。

それからね、“意地悪”と“優しい”がいっぱいある。意地悪っていうと言い方は悪いけど、厳しい。愛情がなかったら言ってくれない。

――反省会が長いことでも有名ですよね。

そう言われてますけど、それを「反省会」ってとる人たちはダメなんですよ。欽ちゃんは言うんです。「神戸さん、みんなが帰りそびれるくらい帰れない番組だったら当たるよ」と。収録が終わった後、スタッフも出場者もみんながしゃべり合いたくなるような雰囲気を作った番組は勝つんですよ。

――その萩本さんが、第98回で「今回で私、この番組終わり」と勇退宣言をされました。その時はどう思いましたか?

辞めるとは言ったけど、(次の放送まで)1年あるから説得する猶予はあると思ってました。ただ、本当に欽ちゃんが辞めるんだったら、乃木将軍じゃないですけど、僕も一緒に辞めようと思ってましたよ。古い男とお思いでしょうが…。だって、第1回からずっと一緒にやってきましたから。

  • 萩本欽一(左)と香取慎吾 (C)日テレ

坂上二郎さんと香取慎吾の共通点

――2002年から『仮装大賞』の司会に香取慎吾さんが加わりました。その経緯は?

その頃、萩本さんが疲れちゃったんです。それで辞める辞めないみたいなことになった。日テレ側はじゃあ、パートナーをつけましょうと。そしたら、相手は香取慎吾くんがいいんじゃないかと、編成にいた土屋(敏男)と当時のディレクター・古野千秋が言ってきてくれた。萩本さんも「慎吾ならいい」って言ったんじゃないのかな。

――2人のコンビはいかがですか?

いいでしょう! 確か昔、萩本さんが(坂上)二郎さんとなぜやってこれたかって言うと、欽ちゃんが何かツッコんでも、二郎さんは「そりゃできないよ」って絶対に言わないからだというんです。どうにかしてやろうとする。「飛んでみなよ」って言われて「飛びます、飛びます!」っていうギャグが生まれたわけですよ。「飛べるわけねえじゃないか」って言ったら終わっちゃう。慎吾くんも「ダメ」って言わないんですよね。「できないよ、欽ちゃん」って絶対言わない。

101回以降も「まだ沈まないだろう」

――『仮装大賞』は今回で第100回を迎えました。その後の展開はお考えになっていますか。

これからはタイトルに「第101回」みたいに回数を入れるのをやめようかなとかいろいろ思ったりはしますけど、それは僕が考えるべきことじゃないでしょうね。現在の徳永(清孝)ディレクターたちが考えることでしょう。今年で85歳だしね。それに番組の方向は出場者たちが示してくれますから。彼らはまだ沈まないだろうと思うんですよ。今回も新鮮な作品をつくってくれています。だから僕も死にません。

最近は暴露したり言い合ったりする刺激的な番組が多い中で、人気者が出るわけでもないこんなに地味な番組を長く続けてこられたことは、テレビ局に感謝しています。本当にすごいことだと思いますね。

「あんな時代もあったねと」と中島みゆきが「時代」の中で歌ってくれた。今思うんですよ。若くして死んだこの番組の言い出しっぺプロデューサー・五歩一勇に「起きろ! お前死んでる場合じゃない。ようやく100回を迎えて、酒を呑んで話そうじゃないか」って。少し興奮しすぎですけどね(笑)