明石家さんまが主演するフジテレビ系スペシャルドラマ『心はロンリー 気持ちは「・・・」 FINAL』(27日21:00~)。さんまが、三宅恵介ディレクターをはじめとする『オレたちひょうきん族』(フジ)の制作スタッフ、そして後に『踊る大捜査線』シリーズ(フジ)などの脚本を手がける君塚良一氏とタッグを組み、シリアスなドラマの中にたくさんのナンセンスギャグを散りばめた異色のドラマで、1984年から11作が放送されてきた。
このシリーズはどのように生まれたのか。そして、なぜ21年ぶりの復活を果たすことになったのか。『FINAL』の見どころとともに、今作でも総合演出を務める三宅氏に話を聞いた――。
初回放送直前にタイトル変更「これはヤバいと思った」
『心はロンリー』を生み出したのは、スタッフロールに「企画」としてクレジットされている「参宮橋金曜サークル」。このメンバーは、さんまに加え、三宅氏、君塚氏、放送作家の大岩賞介氏、藤沢めぐみ氏という面々で、『ひょうきん族』が始まった頃、さんまが東京に拠点を移して住んでいた参宮橋(渋谷区)のマンションへ毎週金曜日に集まり、様々な企画を立ち上げてきた。
ここから、『心はロンリー』のほかにも、現在も続く『踊る!さんま御殿!!』(日テレ)などが生まれ、大岩氏と藤沢氏は今も同番組に構成として参加している。
『ひょうきん族』は、裏のお化け番組『8時だョ!全員集合』(TBS)が台本に基づいてリハーサルを重ね、生放送の本番に臨んでいたのに対し、その場のハプニングも存分に生かすアドリブ重視の笑いで対抗し、牙城を崩すことに成功。そこで『心はロンリー』は、しっかりと台本作りを行い、ドラマのフォーマットとして作ることで、『ひょうきん族』とは別軸の笑いを目指した。
ここで参考にしたのが、米映画『フライングハイ』(80年)。「この映画はコメディではなく、ギャグなんです。飛行機の座席の上にある『NO SMOKING』という文字の下に『NO SEX』って書いてあるとか、細かいギャグが散りばめられていて、こういうのをやりたいねということになりました」(三宅氏、以下同)。
『心はロンリー 気持ちは「・・・」』という特徴的な番組タイトルだが、最初に君塚氏が出した案は、さんまが花屋の役だったことから『あっぱれ花屋さん』。それが却下され、『心はロンリー 気持ちはガンジー』というタイトルに決まった。その理由は「さんまさんにはあり得ない感じが良いと思ったのかもしれないですね。絶対“心はロンリー”ではないですから(笑)」とのことだが、放送直前にインドのインディラ・ガンジー首相(当時)が暗殺される事件が発生。「これはヤバいと思ったけど、何も思い浮かばないから『・・・』にしました」と落ち着いた。
「視聴率が20%を超えるか、10%を切ったらやめよう」
第1作は、90分の単発ドラマ枠『月曜ドラマランド』で84年12月17日に放送。この枠は主にコメディ漫画を実写ドラマ化した作品がラインナップされ、喜怒哀楽をオーバーに表現する演出手法が多かったが、それとは逆に自然な演技の中にギャグを入れることで、「こういう笑いもあるんだというのを示そう」と狙って始まった。
真面目なドラマの中にギャグを散らすという異例の作品だけに、「この番組が王道になってはいけないということで、視聴率が20%を超えるか、10%を切ったらやめよう」と話していたのだそう。すると、第5作(87年3月20日放送)で19.7%(ビデオリサーチ調べ・関東地区、世帯 ※以下同)とギリギリのラインまで上昇したが、第9作(89年3月3日放送)で9.1%と2ケタを割り込み、それまで年1~2回のペースで放送されてきたシリーズが休止期間に入る。
そこから約8年のインターバルを経て、参宮橋金曜サークルで再びやろうと気運が高まり、第10作が97年8月29日に放送された。サブタイトルは「南の国から'97」で、さんまは子どもと一緒に沖縄に移住した男を演じ、2度の沖縄ロケを敢行して大赤字に。それでも、6年を置いて第11作を2003年8月29日に放送したのを最後に、再び長い休眠期間に入っていた。