発生前の報道に注力するようになったのは、気象災害をニュースで扱うことが近年、格段に増えているという背景もある。特に、『news every.』は、“ゲリラ豪雨”が発生しやすいともされる夕方の放送である上、暗くなる前に行動を起こすことを呼びかけることができる最後の時間帯でもあり、果たせる役割は大きい。

鈴江アナが初めて現地を取材した水害は、鬼怒川の堤防が決壊した2015年9月の常総水害(茨城県)。約1カ月にわたり断続的に現地で取材・リポートし、当時の被災者とは今でも交流がある人がいるそうで、印象に残る災害取材になった。

「浸水被害は、1階が冠水すると水は引いても泥が残るんです。それを一刻も早くかき出さないと硬く、重くなって、お年寄りの家では作業できないから、ボランティアの方を頼るしかない。それに、広範囲で浸水しているので、避難所には限りがあり自分の家の2階で在宅避難する方が多かったんですけど、1階は泥が入って衛生面で問題があるし、停電で暑いし、断水もして本当に大変なんです。ようやく1階をきれいにしても、壁の中の断熱材に泥水が染み込んで、数カ月後に家中がカビだらけになってしまったお宅もありました。そこから、復旧するための知識も生活再建のために大事だと思って、スタジオで伝えることにつながりました」

さらに、「気象研究をされている人に話を聞くと、あのときは栃木北部エリアに線状降水帯がかかったから鬼怒川の下流の茨城で氾濫したけれど、その雲が関東の違うところにかかっていたら、荒川や利根川が氾濫してもおかしくなかったそうなんです。そこから、都心や自分の家で水害が起こることをリアルに想像して、どういうことを伝えていかなければいけないのかと考えるようになりました」といい、これもまた意識を変える体験となった。

民放各局とNHKによるキャンペーン「1.5℃の約束―いますぐ動こう、気温上昇を止めるために。」にも参加する鈴江アナ。「今年の夏は“線状降水帯発生情報”という言葉を『every.』で何度もお伝えして気候変動の影響を改めて感じるようになりましたし、今後1.6倍の確率で線状降水帯の発生が増えるというデータも出ているんです。そうなると、今までの防災は“起きることに備える”という考えだったと思うのですが、『1.5℃』のキャンペーンに参加して、“起きる回数を少しでも減らすためのアクション”というのも、防災の一つだと捉えるようになりました」と見据えている。

  • 日本テレビの鈴江奈々アナウンサー

■2児の母として芽生えた責任「この命を守らなければ」

防災士の取得や政府の検討会への参加など、防災報道に積極的に向き合ってきたが、2児の母という立場になり、「やはりリアルに“この命を守らなければいけない”という責任感が芽生えました。もし今ここで地震が起きたら、台風が来たらこの子を守れるだろうかと想像するようになりました」と、その意識はさらに強くなったという。

また、「乳児の頃に、3~5時間に1回のペースでミルクをあげているときに、『この状態で避難所にいたら、ミルクはどうすればいいんだろう…』と思って、被災地のママたちの声を通して、もっとリアルな防災を伝えたいというきっかけになりました」とも。

東日本大震災の避難所では、ミルクをあげられない母親たちが、紙コップに水を入れて口に当てて飲ませたり、それがうまくいかなかったら指を水に入れてから口元を濡らせたりと、脱水症状を起こさないために必死になっていたのだそう。そんな課題を受け、熱湯がなくても飲める液体ミルクや、紙コップに装着できるちくびキャップなどが開発されており、社会や企業でも災害時の配慮者となる妊産婦や乳児への意識が高まっていることを教えてくれた。