ウクライナでの女性兵士の姿を見て、「いつから女性の兵士が一般的になったのか」と調べていくことで、『戦場の女たち』(22年12月19日放送)というテーマが生まれるなど、現在の事象から過去を掘り下げていくパターンもあれば、その逆もある。
「『ベルリン 戦後ゼロ年』(23年4月7日放送)は、日本が戦後、焼け野原からスタートしたのは知っているけど、ドイツはどうだったんだろうというところが発想の始まりでした。ドイツの占領地では、終戦と同時に立場が逆転、それまでの被占領民によってドイツ人はすさまじい報復リンチに遭っています。あまりに壮絶な映像に衝撃を受けました。これは、その後に何をもたらしたのか、映像を集めながら考え始めました」
リサーチをする中で、ドイツの現在を調べてみると、シリア難民の受け入れでも、今回のウクライナ避難民の受け入れでも、ドイツが積極的な役割を果たしていることに気づく。そして、過去と現在の間をさらに調べていくと、敗戦直後に旧占領地から引き揚げてきたドイツ系難民の記憶や、ナチスによる迫害で多くのユダヤ難民を生んだ反省が、今の移民受け入れの素地につながっていることが見えてきた。
「今回、ウクライナ避難民の方々をベルリン中央駅で迎え入れるドイツ人女性が『私たちは難民の子ども。今が恩返しをする絶好の機会』と言っているのを見て、“歴史はつながってる!”と思いましたね」
このようなテーマの選定手法である上、映像資料は世界中に膨大にあるため、ネタ切れの心配はないようだ。「試写をしたり雑談をしていると、『このテーマはもっと掘れるね』とか、『別の人を主役に立てて掘り下げたら、面白そう!』といった感じで新たなテーマが浮かんでくるので、テーマが枯渇したことはないですね」と教えてくれた。
■理屈ではないものを伝えるのが映像
数々の映像を見て、久保CPは「表情」を読みとる楽しさに改めて気づかされたという。
「アンコール投票で1位になった『ベルリンの壁崩壊 宰相メルケルの誕生』(22年4月18日放送)で、のちに首相となるメルケルさんとロック歌手のニナ・ハーゲンがテレビ討論でぶつかり合うんです。ニナ・ハーゲンはメルケルに怒って席を立つのですが、そのときメルケルがニコッとする。一見、苦笑いともとれるんだけど、温かみがあって、何とも言えない表情なんですよね。お固く言えば“言論の自由を味わっている”ということかもしれないけど、あの表情が物語る心地よさみたいなもの。そこに、東ドイツ育ちのメルケルがベルリンの壁崩壊によって得た、大切なものが詰まっている気がして、僕にとって発見でした。
『太平洋戦争 “言葉”で戦った男たち』(22年7月11日放送)の最後には、テニアン島で日本人のために学校を作った元アメリカ軍兵士と日本人の教え子たちが、再会するシーンがあります。涙を流して抱き合う姿に、敵と味方を超えた高貴さを感じたんです。先ほどの難民を受け入れるドイツ女性の表情もそうですが、理屈ではないものを伝えるのが、映像なのだと思います」
そんなラストシーンで流れるのが、『バタフライエフェクト』シリーズに加古隆(※隆は生きるの上に一)氏が書き下ろした「グラン・ボヤージュ」だ。重いテーマを描いた後でも、最後に希望を感じるような旋律が耳に入り、未来につながる物語として番組を締めくくる大きな効果を果たしている。
「『映像の世紀』と言えば加古さんの『パリは燃えているか』ですが、これが人間の罪と業を描いているとするなら、『グラン・ボヤージュ』は歴史を俯瞰したときに感じる可能性や希望、前に向かって進むあゆみを表していると思うんです。加古さんは『時間の海、歴史の海を旅するという思いを込めた』とおっしゃっていました。『バタフライエフェクト』を立ち上げるときに、“勇気の連鎖”という発想の背景もあるので、加古さんもそこを汲み取ってくださったんだと思います」
ナレーションを担当する山根基世も、菊池寛賞の贈呈式で、「番組1本1本を担当しているスタッフ全員の『もうちょっと誰もが幸せに生きられるようになってほしい』という願いや祈りみたいなものが感じられるんです」と、その思いを受け止めていた。だが、分かりやすく希望につながるエンディングが毎回訪れるわけではないため、最後に「グラン・ボヤージュ」を流すかどうかは、「ギリギリまで悩んでいます」とのことだ。