草なぎ剛主演の『僕シリーズ』や『がんばっていきまっしょい』『ブスの瞳に恋してる』といったドラマに、『SMAP×SMAP』などのバラエティ番組を担当したカンテレの重松圭一プロデューサーが7月末で同局を退社し、映像制作集団「g」を設立した。この決断の背景には、管理職としてマネジメント業務を行うよりも「現場で制作したい」という思いや、「このままでは日本のエンタテインメントはダメになる」という危機感があったという。
新会社が掲げる目標は、“日本のドラマ制作のつくり方を変える”ということ。日本にまだ根づいていない脚本の共同執筆体制「チームライティング」の本格的な導入へ動き出した、56歳の挑戦を聞いた――。
■フジテレビで1年間ドラマ制作研修
ドラマ制作志望だったものの、カンテレに入社してから7年間営業を担当していた重松氏。ようやく制作に異動できたものの、バラエティを手がけることになり、全国ネットの『福山エンヂニヤリング』(02年1月~)では、東京でのキャスティングや制作会社との向き合い方などを経験した。
その間もずっとドラマ制作を希望していたこともあり、系列キー局のフジテレビのドラマ制作センターで1年間の研修というチャンスを獲得。最初についたのは山口雅俊プロデューサー(現・フリー)の『ランチの女王』(02年7月期)で、35歳にしてアシスタントプロデューサーのさらに補佐というポジションで修業を積んだ。
そして、03年1月期のカンテレ制作『僕の生きる道』で、フジの石原隆プロデューサー(現・日本映画放送社長)のサポートの元、ドラマプロデューサーデビュー。ここで出会ったのが主演の草なぎ剛で、重松氏は同年7月期の『クニミツの政』を担当しながら、バラエティ番組『SMAP×SMAP』のプロデューサーも兼任することになる。
■やっぱり現場で作品をつくりたい
フジテレビでの1年間の研修で叩き込まれたのが、「自分たちでゼロから作らないと、力がつかない」という意識だ。
「当時のカンテレは、制作会社さんから上がってきた企画に、局のプロデューサーが付くという感じでやることが多かったんですが、フジテレビさんはプロデューサーが企画、スタッフの編成、キャスティングも全部やって自分たちで作るということを当たり前にやっていたんです。うちもこのやり方をしないと絶対に負けると思って、2005年に『がんばっていきまっしょい』を作りました」(重松氏、以下同)
『がんばっていきまっしょい』は、当時カンテレにとって26年ぶりの全国ネット自社制作ドラマで、以降の作品にも「自分たちで作って、IP(知的財産)を持っていかなきゃいけない」という考え方が引き継がれていく。
その後、管理職となってドラマ制作は後輩に譲りつつ、現場をやりたいという思いから映画『阪急電車 片道15分の奇跡』(11年)を企画・プロデュースし、新設された映画事業部の部長に就任。そこから、東京制作部長、東京支社長など管理職を歴任するうちに、やはり現場で作品をつくりたいという気持ちが膨らみ、独立という決断に至った。
この背景には、テレビ局やプロダクションなどの“行政”によって、自由にものづくりができない状況に直面したこともあったといい、「もっとクリエイターがやりたいことをやっていかないと、日本のエンタテインメントはダメになるという思いを強くしたんです。テレビ局は免許事業なので、もちろん制約があって、その中だからこそ良いものができるということもあるんですけど、忖度やコンプライアンスなど時代が変わってきている中で、グローバルの視点で日本のエンタメを考えるようになって、これは自分でやろうと思って準備をしていました」と打ち明ける。