15日に愛知・豊田スタジアムで行われたエルサルバドル代表戦。前半だけの出場だった三笘は、そのなかでも久保建英(レアル・ソシエダ)のゴールをアシストし、さらに得意のドリブル突破から強烈なシュートを一閃。相手キーパーが弾いたこぼれ球を堂安律(フライブルク)が押し込んだ。
もっとも、エルサルバドル戦は序章にすぎなかった。20日に大阪・パナソニックスタジアム吹田で行われたペルー代表戦でフル出場した三笘は、圧巻のパフォーマンスを披露する。
まずは前半37分。鎌田大地(アイントラハト・フランクフルト)のパスを受けて左サイドをドリブルで駆け上がり、ペナルティーエリア内に入ってから右側へ急旋回。川崎やブライトンで何度も見せた得意のカットインから迷わずに右足を振り抜き、ゴールネットを揺らした。
ただ、シュートコースはイメージと異なった。ミスキックだったと三笘も打ち明けている。
「相手選手と1対1になったので、カットインしてからとりあえずゴールの枠内へ、という意識で迷いなく打ちました。少しだけコースがずれて難しいところがありましたけど、(相手に当たって)運がよかったというか。まあ、シュートを打ったことに意味があったと思っています」
後半18分には再び左サイドをドリブルで突破。スピードに乗った状態でもマークする相手の体勢を見極め、股の間を射抜くラストパスで伊東純也(スタッド・ランス)のゴールをアシストした。
「最初は浮き球のパスも考えましたけど、クオリティー的にもちょっと難しいかなと思ったので。なので、相手の股がうまく空くかな、と。そういうところで狙い通りのパスでした」
3月シリーズはウルグアイ代表戦で引き分け、前半開始早々に三笘がヘディングで先制ゴールを決めたコロンビア代表戦では逆転負けを喫した。一転して6月シリーズは、2試合ともにゴールラッシュで連勝。しかも合計10ゴールを、三笘を含めてすべて異なる選手が記録した。
それでも、森保監督から攻撃の中心を託される存在になった三笘は、勝って兜の緒を締めている。
「親善試合で徐々に結果が出ているのはうれしいですけど、もっと強い相手もいる。9月にはドイツ戦もあるし、そういった試合でまた評価されるはずなので。いまは怪我なくシーズンを終えられたことが一番ですし、まずはしっかりと休んで、もうひとつ上のクオリティーを目指していきたい」
6月シリーズからは背番号も「7」に変わった。森保ジャパンのなかで、なかなか居場所を築けなかったからか。三笘の背番号も代表へ招集されるたびに「13」や「18」などと変わってきた。カタール大会では「9」と初めてひと桁となり、3月シリーズでも引き続き「9」を背負った。
ただ、一般的にはそのチームのエースストライカーが「9」を託される。背番号に一抹の違和感を覚えてきた三笘は、エルサルバドル戦から背負った「7」を笑顔で歓迎している。
「僕は7番が昔から好きでしたし、それをつけるのはすごくうれしいですね」
無我夢中になってサッカーボールを追いかけていた少年時代。マンチェスター・ユナイテッドやレアル・マドリード、そしてポルトガル代表でも「7」を背負い、ドリブル突破からゴールを量産していたスーパースター、クリスティアーノ・ロナウドが憧れだったと三笘は打ち明ける。
「そういった選手(ロナウド)の影響もありますし、小さな頃に(同じ背番号を)つけていた、というのもあります。そういうスタイルを真似して、ドリブルもしていました」
一方で日本代表の「7」が、中盤のゲームメイカーの象徴として紡がれてきた歴史も三笘は知っている。実際、中田英寿や遠藤保仁、柴崎岳ら歴代の「7」とはプレースタイルがまったく異なる。だからこそ、自分が「7」に馴染むかどうかは代表で見せるプレー次第だと三笘は語っていた。
そして、6月シリーズでドリブル突破から3つのゴールに絡んだ。得点能力や身体能力の高さも含めて、まだまだロナウドの域には遠く及ばない。それでもペルー戦後にはこう語っている。
「自分のプレーを見て『7番』をつけたい、と望む子どもたちが増えればうれしいですね。そして、これからもずっと(代表で)つけていきたい背番号ではあります」