ウルトラ怪獣シリーズの販売促進という使命を担い、全国各地で『ウルトラセブン』の早朝再放送が始まったのは、1983年の夏だった。『セブン』は再放送でありながら、『てれびくん』表紙で現役番組の『科学戦隊ダイナマン』や『宇宙刑事シャリバン』よりも大きな位置を占めており、この時期のウルトラマンシリーズの人気の高さをうかがわせている。また、TBSの帯番組枠で平日に放送の『アンドロメロス』テレビシリーズは2~4月で放送を終了し、『アンドロ超戦士』の漫画連載のみ継続中。カラーグラビアは主に『ウルトラセブン』が中心になって展開した。
スーパー戦隊シリーズ第7作『科学戦隊ダイナマン』は1983年2月放送開始。前作『大戦隊ゴーグルファイブ』(1982年)のシンプルで明快なキャラクターアクションの方向性を受け継ぐと共に、これまでずっとシリーズの音楽を手がけてきた渡辺宙明氏に代わって『快傑ズバット』『がんばれ!レッドビッキーズ』『燃えろアタック』の京建輔氏が参加(主題歌・BGM全般)したり、ロボットアニメのメカデザインで注目された出渕裕氏が、ジャシンカ帝国の幹部や進化獣のキャラクターデザイナーを務めたり、全体的な印象を変えるべくいろいろと工夫が施されている。
前半の『ダイナマン』は、まさに正義と悪とのシンプルかつスピーディなバトルシーンに見せ場を置いているところがあるのだが、第31話「スパイ有尾人の罠」から本作に参加した堀長文監督の意向により、作風が次第に変化。アクションの連続で押し切るだけでなく、キャラクター同士がおりなすシリアスな「ドラマ性」を重視するようになった。不幸な境遇にある姉弟を陰から見守るダイナイエロー/南郷耕作(演:時田優)が、禁断の力を手にしたことで死の危険が迫り、そんな南郷を助けるため自らの身体を犠牲にするダイナレッド/弾北斗(演:沖田さとし)の姿を描いた第42話「挑戦ダークナイト」などは、『ダイナマン』後半における傑作群のひとつとして、改めて存在を強調しておきたい。アクション主体の作品だからこそ、わずかなシーンであっても視聴者の心に“刺さる”ドラマを……という考え方は、その後のスーパー戦隊シリーズ各作品にもしっかりと受け継がれていく。敵も味方も愛すべき個性を備えた『ダイナマン』は人気作となり、痛快ヒーローの活躍を楽しむ子どもたちから、マニア的視点を備えた青年ファンまで幅広い層からの高評価を得た。
『宇宙刑事ギャバン』(1982年)に続く「宇宙刑事シリーズ第2弾」となった『宇宙刑事シャリバン』は1983年3月スタート。銀河パトロール隊の隊長に昇進したギャバン/一条寺烈(演:大葉健二)の後任である宇宙刑事シャリバン/伊賀電(演:渡洋史)が、地球を狙う邪悪な宇宙犯罪組織マドーを相手に戦う姿を描いている。ギャバンが銀色のコンバットスーツをわずか0.05秒で「蒸着」するのと同じく、シャリバンは赤いソーラーメタル製のコンバットスーツを1ミリ秒(0.001秒)で「赤射蒸着」するなど、ヒーローキャラクターの設定は『ギャバン』で好評だった部分を多く継承している。『シャリバン』は『ギャバン』パート2として、スタッフが前作のノウハウを活かしつつアクション、ドラマ、特撮など各方面の強化を目指し、ハイクオリティな映像作りに情熱を燃やしていたことがうかがえる。
『ゴジラ』の復活や『ウルトラセブン』再放送、そしてビデオソフトや音楽レコードなど「往年の名作」で盛り上がっていた特撮ファンもまた、現役特撮作品である『ギャバン』や『シャリバン』の面白さを鋭く感じ取り、積極的に楽しむ姿勢を見せた。
『シャリバン』では、悪のマドーに挑む伊賀電のストレートな「怒り」を赤射というビジュアルに落とし込むような演出が評判となり、マドーによって不幸な状況に追い込まれた市井の人々を助けるため、わが身を捨てる覚悟で危険な罠へ飛び込んでいく電の人間的魅力が、回を追うごとに増していった。
とある事件をきっかけに自らのルーツを知ることになった電が、滅亡した遠い祖先の復讐と故郷(イガ星)の再生という重大な使命を背負う第19話「魔境岬に一人立つ神秘の少女」第20話「荒波が呼ぶ七色水晶の孤島」の前後編や、死霊界から来た軍師レイダー(演:安藤三男)の精神攻撃でダメージを受けた電が、安らかな楽園のような「死の国」への誘惑を断ち切り、無限の荒野にしか見えない「生の国」に踏み出す=どんなに苦しく、辛くとも生き抜くことを誓う第34話「総毛立つ幽鬼は死霊界への案内人」などは、苦難を乗り越えて高みを目指すヒーロー像を追い求めた『シャリバン』ならではのドラマチックなエピソードとして、長きにわたって多くのファンから愛され続けている。
このように1983年という年は、映像ソフトや音盤商品で往年の「名作」特撮作品の掘り起こし・再評価が行われると同時に、現行作品にも熱い注目が集まった、特撮ファンにとって非常に濃密な時代であったということができる。しばし40年前に心を飛ばし、あのころの「特撮文化」に思いを馳せてみたい。