東海テレビが製作・配給するドキュメンタリー映画の第14弾『チョコレートな人々』が公開中だ。東海エリアで放送を終えたテレビ番組に映画という形で再び命が吹き込まれ、全国の人たちに作品が届けられるようになったこの取り組みは、2018年に菊池寛賞を受賞し、「独自の視点から地方発のドキュメンタリー作品を制作。作品は映画としても公開され、他のローカル局がドキュメンタリー映画を発信することに大きな影響を与えた」と評価された。
第1作からこの陣頭指揮を執るのは、阿武野勝彦プロデューサー。「東海テレビのDNA」というドキュメンタリー制作と、その作品を広げることへ執念や思いに加え、“テレビの暗部に切り込む”テーマに感化されたというあのドラマへの見解も聞いてみた――。
■採用面接で半数がドキュメンタリーを見て志望
アナウンサーとして東海テレビに入社した阿武野氏だったが、ちょうど背中合わせにあったのがドキュメンタリーを作る部署だった。そのためアナウンサー時代から、ドキュメンタリー制作で人が足りないときは、ディレクターとして駆り出されることがあったそうだが、「ある時、大きい番組を作るときにディレクターが足りなくて、『こいつがいる』という話になって、そのまま隣の部署に移るというお手軽な人事異動でした(笑)。自分としては志望する世界だったので、すんなり移籍できて良かったですね」(阿武野氏、以下同)と、正式にドキュメンタリー制作へ配属されることになる。
「ドキュメンタリーは専従班を作ってくれて、ニュースや行政の広報番組をなるべくやらず、専念できたんです。カメラマンも音声マンも専従で指定してもらえるので、カチッと決められたクルーで取材に出ていける。東海テレビは、ドキュメンタリーについて非常に熱い放送局だったので、その仲間に入れて、すごく誇らしかったですね」
異動した1988年当時はバブル真っただ中で、テレビ局の業績も絶好調だった時代。それゆえ、ドキュメンタリーは“売り物にならない番組”と位置付けられ、放送枠は深夜に追いやられていた。
その後、一時期営業局に異動してからドキュメンタリーに復帰すると、「300人しかいない地方局で、その仲間が作ってる番組を、深夜の25時や26時なんて今日か明日かわからないような時間に放送するのは間違ってる」と編成に掛け合い、土日祝日の昼~夕方帯、さらには時折ゴールデンタイムでも放送されるという現在のスタイルに。「他の局が深夜でしか放送しないという中で、視聴率が悪いと言っても、編成も営業もみんなで歯を食いしばって昼間の時間でやれているんです」と胸を張る。
これが実現できる理由は、「ドキュメンタリーは我々のDNAだから、これをやらずに東海テレビは語れないんだよ、と。そして、あくまで自社スタッフでコツコツ手作りするということを意識してきました」と、会社全体がドキュメンタリーは局の大きな柱と位置付けていることが1つ。
それに加え、「入社試験で、500人面接を受けたら250人くらいが『ドキュメンタリーを見て東海テレビを志望しました』と言うそうなんです。放送関係の志望者が減っている中で、我々の局はドキュメンタリーで全国に知られているということは会社の共通認識です」といい、大きなブランドになっていることを裏付けている。
■テレビドキュメンタリーは見下されていた
放送したドキュメンタリーを映画化して公開する取り組みが始まったのは、戸塚ヨットスクールを30年以上にわたり密着取材した記録をまとめた『平成ジレンマ』(2010年5月29日放送、11年2月5日公開)という作品。それから「東海テレビドキュメンタリー劇場」と称し、最新作の『チョコレートな人々』でその数は14作品を数えるが、なぜ映画に進出することになったのか。
「一生懸命ドキュメンタリーを作っても、愛知・岐阜・三重の東海3県で1回放送し、もしかすると再放送できるくらい。さらにもしかして賞を獲るともう一度何らかの形で蘇らせることができるくらいで、結果、アーカイブという映像資料となって“映像の墓場”に入るともう二度と出てこられません。でも、これだけ手間暇をかけて、取材対象の方にも相当な時間とプライバシーと労力を収奪しながら作っているわけですから、今この時代にこのドキュメンタリーを広く見てもらう方法はないだろうかという、ある種の“表現欲”ですね。そんなことを2009年くらいから思い始めて、一生懸命見てもらえる場所はどこだろうと考えた先が、映画館だったんです」
映画にすることで、「“2023年作品”というクレジットが付いて、10年後も20年後も30年後も、映画館にも出せるし、自主上映のような形でも上映できる」と期待を膨らませたが、テレビドキュメンタリーに対する映画界の反応は冷ややかだった。
「『映画館でやりたい』と言ったら、『テレビ屋が何を寝ぼけた言ってんだ』という感じでしたね。映画は“映画芸術”という雑誌がありますが、芸術世界なんです。しかし、放送は一生懸命自分たちのことを“放送文化”と言っているじゃないですか。要するに、映画人のプライドが高く、テレビは見下されていたということですね」
それでも、『平成ジレンマ』で参入し、第2弾、第3弾と続けていくうちに、「テレビと映画がもっと融合して、ドキュメンタリーという世界を、もっとこの日本の社会の中で一生懸命みんなに見てもらえるようになりたい」という思いを強くした阿武野氏。全国の映画館に持ちかけると同時に、劇場公開の実績を引っさげて「日本映画専門チャンネル」にも売り込みをかけ、CS放送で日本全国見られるという状況を作り、最後は地上波の東海テレビに戻ってくるというループを作った。
こうして、単館系ながら1本、2本とヒット作が出ていくうちに、「うちでも上映したい」という映画館が増えてきた。また、1作目から上映し続けている横川シネマ(広島市)のように「うちは東海テレビのドキュメンタリーを全部やってるよ!」と誇る劇場もあり、阿武野氏は「そういうふうに言ってくれるとすごくうれしいですね」と顔をほころばせる。