クールな男が人目もはばからずに号泣する姿に、未明の日本で戦況を見守っていたファン・サポーターが胸を打たれた。決勝トーナメント1回戦でPK戦の末にクロアチア代表に屈し、目標に掲げ続けたベスト8の一歩手前でカタールW杯を去った日本代表。試合終了直後のピッチ上で、そして取材エリアで涙を流し続けたMF三笘薫(ブライトン)は、一夜明けた6日に行われた森保ジャパンとしての最後の取材対応へ毅然とした表情で臨んだ。プレッシャーがかかるPK戦で2番手キッカーを志願し、無情にも止められたシーンをあえて脳裏に刻み込みながら、カタールの地で世界へインパクトを与えたドリブラーは、真のエースを目指す新たな戦いをすでにスタートさせている。
日本中を熱狂させ、寝不足にさせたカタールW杯の戦いを終えて、7日夕方に成田空港と羽田空港へ分かれて戻ってきた計17人の日本代表選手のなかに、三笘薫は含まれていなかった。
所属するブライトンの次なる公式戦が21日に組まれているからか。森保ジャパンの解団式を6日に終えると、そのままチームが本拠地を置くイギリス南部の海浜リゾート地ブライトンへ。移動中だったと見られる7日には、自身のインスタグラムを更新している。
「素晴らしいチームで闘えて本当に光栄でした。この悔しさを必ず次に繋げます」
結果的にカタールでの最後の試合となった、クロアチア戦に関連する5枚の写真をインスタグラムに投稿。現地や日本国内で応援してくれたファン・サポーターへの感謝の思いとともに、三笘はカタールで同じ時間を共有した仲間への感謝と今後への決意を綴っている。
特に4年後にアメリカとカナダ、メキシコで共同開催される次回W杯へ捲土重来を期す決意は、クロアチア戦を終えた直後のアル・ジャヌーブ・スタジアム内の取材エリアで、そして一夜明けた6日にドーハ市内の活動拠点で臨んだ森保ジャパン最後の取材対応でも語られていた。
PK戦の末に敗退が決まり、チームとして目標に掲げてきたベスト8の一歩手前で残酷にも夢を絶たれた直後から号泣していた三笘は、取材エリアでも涙で何度も声を詰まらせた。
「僕よりも強い気持ちを持っている選手に対しての申し訳なさです」
涙の意味を問われた三笘が必死に声を紡いだ。自身との交代でベンチへ退いた36歳のベテラン、DF長友佑都(FC東京)は三笘が特に申し訳なさを感じた一人かもしれない。
「覚悟を決めてプレーしていたつもりですけど、ちょっと足りなかったのかなと感じている。悔しさしか残っていないし、本当に自分がPKを蹴るべきだったのか、とも思っている」
クロアチアとの明暗を分けたPK戦で、三笘は2番手を務めた。開始前にベンチ前で組まれた円陣。森保一監督がキッカーを募り、5秒ほどの沈黙をへて「じゃあ、オレが蹴る」とMF南野拓実(モナコ)が1番手に立候補。南野の覚悟を引き継ぐように、三笘が2番手に名乗りをあげた。
昨夏の東京五輪準々決勝。U-24ニュージーランド代表と延長戦を含めて120分間を戦っても0-0のまま決着がつかず、もつれ込んだPK戦でも、U-24日本代表を率いていた森保監督はキッカーを募った。延長前半から投入されていた三笘は、しかし、手を挙げられなかった。
当時はチームの勝利を背負うまでの自信を持てなかった。しかし、いまは違う。東京五輪直後に川崎フロンターレからプレミアリーグのブライトンへ移籍。就労ビザの関係で昨シーズンをベルギーでプレーし、満を持して今シーズンから世界最高峰のリーグへ挑んできた日々が三笘を変えた。
「ベルギーでいろいろな選手と対戦したところや、プレミアリーグで高い基準を見ているところで、メンタル的にどんな相手に対してもビビらないところが身についてきたと思う」
クロアチア戦を翌日に控えた4日。三笘はこんな言葉ともに、昨夏から遂げてきた内面的な変化に自信をみせていた。しかし、いざペナルティースポットにボールをセットした瞬間から何かに取り憑かれたのか。それとも、先頭の南野の失敗とともにプレッシャーを感じてしまったのか。
ゴール左を狙った三笘のPKは、南野の一撃を完璧に阻止したクロアチアの守護神、ドミニク・リバコビッチに再び弾き返された。ハーフウェイライン上に並ぶチームメイトたちのもとへ、うなだれながら、力ない足取りで戻ってきた三笘を迎えようと駆け寄ってきた選手がいた。
右手を差し出し、列に加わった三笘の肩を抱くように寄り添ったのはMF田中碧(フォルトゥナ・デュッセルドルフ)だった。学年こそ三笘がひとつ上の2人は、川崎市立鷺沼小学校、有馬中学校、そして川崎フロンターレの下部組織で同じ時間を過ごし将来の夢を共有した幼馴染だった。