詩の創作において、山田は「撮影期間は僕という人間より、役の人格として物事を考えている時間が多いので、確実に(その時に演じている役柄の)影響はあるはず」と話す。今作では『実録山田』の時に見せたユニークな山田孝之ではなく、彼のシニカルな部分が色濃く出ている。

苦しさが伝わってくるような詩も多い。彼が楽しさを感じた時に書いたようなものはないだろうかと一縷の望みにかけてもう一度読み直すと、「笑う事が出来た」という表現が出てくる詩を見つけた。しかし、その詩を読み返した山田は「皮肉で言ってますね」とキッパリ。山田にとっては「笑うこと=幸せな行為」ではなく、「呆れ返って笑うしかない時ってないですか?」と笑いながら問いかける。

自分の能天気な詩の読み方を、今まさに呆れて笑われてしまったのではないかと、羞恥心で視線が泳いでしまった。すると山田は「すごくいいと思います」と寄り添い、「むしろ逆に悲しいっていうのは、喜びや嬉しさだったりもするし、全部表裏一体なところがありますね」と続ける。そして「感覚的に伝えますけど」と前置きした上で、自身の指と目を使いながら、詩を創作する時に意識していたことを話し始めた。

「僕が真ん中にいて、左の目線の端っこにネガティブ、右の目線の端っこにポジティブを常に置いておく。どちらも置いておかないとダメなんです。常にポジティブでいようっていうのも良くないし、ネガティブと向き合いすぎても精神が苦しくなる。でも、ネガティブをなしにしちゃうと良くない。なので、詩を書いている時は基本的に左の隅にあるネガティブのほうを向いて、今世の中でどういうことが起きているかということを言葉にして、それを読者の皆さんの前にポンっと広げてみるんです」

「つまり、基本的にネガティブと向き合って書いているんです。作品を作ったり、バラエティで笑わせるって言うのは、どちらかと言うとポジティブな作業ですね。どちらも大事でバランスが必要なので、僕はこの連載ではネガティブと向き合って、読者の皆さんの前に出してみる作業をしていました」