6月26日から9月4日にかけて、「25周年! ライセンス漫才トークツアー~新作3本+トーク30分の60分公演~」を開催する。福岡、静岡、東京、京都をまわる、単独ツアーだ。
実は井本は「コロナ禍でツアーをやることに不安もあった」という。しかし「ある会社をやっている方とお話しする機会があって。その方は『コロナ禍だからこそ、前に進んだ。止まることをしなかった』とおっしゃっていたんです。その話を聞いて、僕も『コロナだからできない』と言うのではなく、そこでできることをやるべきなんだと思った」と決心。また1回目の緊急事態宣言中は「お笑いがやりたくて仕方なかった」そうで、藤原も「昨年の緊急事態宣言が明けて、最初のライブで数カ月ぶりに漫才をやったら『うわ! こんなに楽しいもんなんや。俺、ほんまにお笑い好きなんや』と思って。再確認させてもらいました」と笑いへの熱をさらに高めたと語る。
9年ぶりの単独ライブでは、「シンプルにネタを楽しんでほしい。やっぱりそれに代わるものって、ないんですよ。ネタを提供したいし、受け取ってほしい」と井本。「以前の単独ツアーでは、ものすごいセットを組んだりしていたんです。LED照明を派手につけたりして、当時みんながやっていなかったようなことをやっていました。でも今は、サンパチマイクが1本、そこに立っていればいいと思っています」とキッパリ。サンパチマイクとは漫才師の象徴でもあるセンターマイクのこと。井本は「セットを立て込んでいたころは、きっとセットに頼らないとダメだった。25年経った年の功で、そう思えるようになったんだと思います」と自信をのぞかせる。
藤原も「『こういうネタもやるようになったんだ』と思いながら、笑ってもらえるネタになると思います。やっぱりネタも若い頃とはまた違ったものになる」とアピール。「若い頃ならば、ネタの入り口も自由でよかったけれど、おっさんになってそれをやっていたら『気持ち悪っ』と思われてしまうので(笑)。入り口も変わってくると思いますし、若い頃とは違った説得力を見せることもできるはず。そういった成長も見てもらえたらうれしいですね」とネタの変化も見どころだ。
井本が「同じ学校で、そこから一緒に芸人になって。友だちから始まったコンビだからこそ、出せるものがあるはず。そういう相方と、25年続けられたことはうれしいですね」というと、藤原も「この世界に一緒に入ってきて、当然、この相方でなければここまで来られていない。同じ時期にしんどい思いをして、『あのとき、キツかったな』と共感できる人は他に絶対いないですから」とうなずくなど、特別な関係を築いてきた。
「このような状況になってお客さんもみなさん大変で、行動だけでなく、気持ちまで自粛になってしまっていると思うんです。楽しい気持ちで、足を運んでほしいです。コロナ禍でツアーを走り切ったあとには、きっと僕らもなにかが見えると思う。なにか見つかりそうな気はしています」(井本)、「43歳という年齢でまわるツアー。50代になったときに、43歳のツアーはよかったなと思えるものにしたいです」(藤原)と意気込みは熱い。25周年を期にまた新たなスタートを切ろうとするライセンス。彼らの今後がますます楽しみになった。
高校時代からの友人同士である、藤原一裕と井本貴史によるお笑いコンビ。1996年にライセンスを結成。オーディションで大阪吉本興業入りし、1999年の第29回NHK上方漫才コンテスト優秀賞。2001年に拠点を大阪から東京に移す。2006年の M-1グランプリでは敗者復活戦に勝利し、初の決勝進出を果たしている。