ドラマの放送がはじまる1カ月ほど前の1月5日に放送された『ニュースウオッチ9』で吉沢亮と高良健吾がジャケット着て、有馬嘉男キャスター、和久田麻由子アナのインタビューを受けていた。そこで、2人は新しい日本を作ろうとした者たちをどう感じながら演じているか、「立場なんか関係なく思ったことを言っていいはずだし」などと真摯に語っていた。

有馬氏が、いまは、明日がよくなることをなかなか感じにくいが、当時は、逆境のなかで希望を見出していると向けると、吉沢は「生きるという生命力を感じてほしい」と答えた。番宣で、番組の魅力や撮影裏話などをすることは珍しいことではないが、ドラマを超えて、どう生きるか、若者がこんなふうに真面目に生きることについて語っている姿に目を奪われた。こんな彼らを見て、若者が社会について考えていくようになるといいなあと思う。

有馬氏のコトバではないが、希望をなかなか考えにくい状況で、深く考えることに疲れ、考えずにすむドラマが好まれる傾向があるが、『青天を衝け』は考えさせるドラマになっているような気がする。

父の教えや母のコトバを、栄一が大事にする物語は、家族で見て、話し合うこともできるドラマだと思う。第3回では、栄一が父の代わりに買い付けに出かけたとき、母の「みんなが嬉しいことがいいこと」というコトバを守って、未来のことを視野に入れ、来年、いいものができたらまた売ってほしいと約束し、いまは少しだけ高く買い付けるという知恵を働かせた。損して得取れ的な栄一の働きを父も認める。

「125文」で売ったと聞いて、じろりと父に見られ怯むが、間をおいて「よくやった」と言われ、「え」と目を丸くする栄一の表情の無垢さ。商いの楽しさを実感するときの、くりっと光る瞳を覆う長いまつ毛は希望そのもの。それは栄一が江戸で見た、川で藍を染め、布が無数に風になびく紺屋町の美しさと当価値の美しさだ。