――SNSのフォロワーやファンが増えていくにつれて、自然とポジティブな声もたくさん届くようになりますよね。それでも自己肯定感は高められなかった。

そうですね、ネガティブな感情は意外と埋められないんですよね(笑)。みなさんが知っている「山之内すず」は、「メディアに出ている山之内すず」。もちろん、着飾らずに自然体でお仕事をさせて頂いているつもりですが、昔経験したことや、心の奥に思っていること、いろいろな感情がある中で、ファンの方がステキな言葉をかけてくださっている部分は、私にとっては「表面の部分」というか。

でも、自分から醜い部分をあえて出すことはしません。いちばん変な方向に考えていたときは……「山之内すずはポジティブ」と感じている人が大半だと思うんですけど、そうやって思って応援してくださっているのにこんなにネガティブな自分が申し訳ない……とか(笑)。そういう時は批判的な声に耳を傾けてしまったり。

今はステキな言葉をかけられると、素直に受け止められるようになりました。自己肯定感が低いと、ポジティブな言葉をそのまま受け入れられないんですよ。そこで拒絶してしまうから、自分の心には届かない。「そんな自分が嫌だ」というループ……。『人狼ゲーム』の現場を通して、幸せな感情に目を向けられたことが、すごく大きかった。今はすごく良いメンタルだと思います。

――マイナス感情の自分とそうやって向き合うことも大切なんですね。

マイナスな感情は、決して悪ではないとも思うんです。絶対に自己肯定感を高くしないといけないわけでもない。低いからこそ自分とちゃんと向き合えて、自分のダメなところにも気づくことができる。調子に乗ったり、天狗にならないようにするための感情でもあるのかもしれない。

批判やマイナスな感情も、今の自分にとってはすごく良いことだと思います。感情は人それぞれ、共通する部分も違うところもきっとあるはず。人と自分を比べて自分がどうかなんて本当に関係ないし、マイナスな感情を持っているからこそマイナスな感情を持っている人に寄り添って支えることもできる。今振り返ると、これまで悩んでいた自分もそんなに悩む必要なんてなかったんじゃないかなと思えるようになりました。

■人生の中では学生時代は本当に短い時間

――「乗り越えてみると、そんなに大した悩みじゃなかった!」なんてこともありますよね。

そうですね。特に学生時代は学校がすべてじゃないですか。でも、人生の中では学生時代は本当に短い時間。そこで嫌なことがあったとしても、今はどうってことない。離れてみたら、関わらない人たちばっかり。自分は、合わない人と無理に合わせようとするタイプはないので、自ら一人でいることを選んだりしていたんですけど、そんなに無理しなくてもいいのかなと思います。

――『人狼ゲーム』では、「共演者と友達にならないようにしよう」と心掛けて現場に臨まれたそうですね。他の現場でも、そうなんですか?

仲良くなる人もいるんですけど、もともとプライベートで出歩くタイプではないので、仲良くなろうと思っても結局はそんなに会わなかったり……。今回は泊まり込みの濃い現場。学ぶ場であり、仕事は仕事。友達なんてできるはずがないと思っていたら……終わって戻って来たら、「みんな好き!」となっちゃって(笑)。こんなに全員のことが大好きになる現場ないなぁと。「人のことを知ろう」と自分が思えたことが、何よりもうれしかった。大人数が苦手なのに、みんなと一緒に行動することもできて、とにかく居心地が良くて。不思議な出会いってあるものなのですね。

■「あっ! 今、できた!」演技で手応えを感じた瞬間

――クランクアップで泣いてしまって、ご自身でも驚かれたんじゃないですか?

そうですね。こんなに、「終わってほしくない」と思うことってあるんだと。睡眠時間も限られた中で、本当にハードなスケジュールではあるのに、それでもこの現場から離れたくない、ずっと毎日この生活でいいから続けていたい、終わってほしくない……と。自分でもびっくりです(笑)。

クランクアップした次の日、とりこぼしがあることが分かって。あるシーンの音声だけを次の日に録ったんですけど、その時が自分の中では「一番、萌々香になれた」と思えた。殻を破ることができた瞬間。だから、めちゃくちゃ悔しくて。音声だけの演技、しかもセリフも用意されてない中で「自分の思うようにやって」と言われたところで、初めて「あっ! 今、できた!」と。でも、そのシーンを映像として撮り直すことはできない。それが、めっちゃ悔しくて。この気持ちで最初からやらなきゃダメだなと。萌々香と向き合うことができたうれしさと、そういう悔しさもありました。

実は、今まで大きい画面で自分を見ることができなかったんですよ。バラエティやCMも。雑誌も自分で買って、見返すこともなくて。『人狼ゲーム』で初めて自分の顔がスクリーンにドアップで映った時、目をそらさずに見ることができたんです。作品として見ることができた。「作品の中に自分が入ることができたんじゃないか」と感じつつ、そういう悔しさがあって……その悔しい気持ちを次に生かさなきゃなと思います。