声優の降幡 愛が、株式会社バンダイナムコアーツと有限会社bluesofaが手がける新たな音楽レーベル「Purple One Star」よりソロアーティストデビュー。レーベルプロデューサーの本間昭光氏が楽曲制作を担当したデビューミニアルバム『Moonrise』が、2020年9月23日にリリースされる。今回は、ミニアルバムに収録される楽曲について語ってもらった。
●自ら企画書を提出して決めたコンセプト
――ソロアーティストとしてデビューすることとなりましたが、元々、音楽活動をすることに興味はありましたか?
お仕事として声優がアーティスト活動することはある、という認識はありました。ただ、自分がやることは思い描いていませんでしたね。
――声優仲間の皆さんでアーティストとしてデビューする方も多いなか、「自分も」という気持ちが芽生えることは?
「みんな頑張れ!「あぁ、こういう見せ方もするんだ」という気持ちで、単純にみんなのデビューを楽しんでいました。ただ、「自分も……」という気持ちはそんなに芽生えなかったですね。アーティスト活動を意識するようになったのは、「デビューしませんか?」と実際にお声がけいただいた時からです。
――アーティストデビューの声がかかったのはいつ頃でしたか?
2019年の夏ごろですね。お世話になっているスタッフの方から「何か一緒にやろう」というお話をいただいたんです。私も「この方が言うならやりたいな」と思って、色々とお話を聞いていくなかで、アーティストデビューのこと、新しいレーベルができることなどの話も出て。その情報の量と大きさに、最初はあまり実感が湧かなかったです。
――まさか、新レーベルの第一弾アーティストとしてデビューするとは。
思ってもいなかったですね(笑)。
――そうして誕生したソロアーティスト・降幡 愛。発信していくのは、80'sシティポップと聞きました。こちらはご自身のリクエストでしたか?
そうですね。自分がアーティスト活動をするとなったときに、一番しっくりきたコンセプトが「80'sシティポップ」だったんです。ただ、自分で提案しないと絶対にできないジャンルだと思ったので、本間さんを含めたスタッフさんとの打ち合わせで企画書を提出しました。
――反応はいかがでしたか?
なかなか異彩を放っていると思っていたのですが、すんなり受け入れてもらえたので嬉しかったです!!
――アーティストとして発信していくジャンルを「80'sシティポップ」に振り切るというのも、話し合いで決まった?
決まりました。本間さんはそのジャンルの音楽をこれまでも手掛けられている「ホンモノ」です。そんな方が「そのジャンルでいくなら、俺の知識をぜんぶ詰め込んだ贅沢な音楽をやろうぜ」と言ってくださったんですよ。それなら、本間さんと一緒に自分のやりたい音楽を存分にやろうという気持ちになり、「80'sシティポップ」に振り切ることを決めました。
●これまでの「音楽」を振り返る
――先ほど「80'sシティポップ」がしっくりくるとお話されていましたが、元々好きなジャンルでしたか?
そうですね。小さい頃はORANGE RANGEさんやポルノグラフィティさんなど、私世代がみんな聞いていた音楽のほか、アニメソングもよく聞いていました。ただ、大人になるにつれて、80年代のサウンドを意識的に聞くようになってからは、めちゃくちゃいい曲だなと思って。音楽で表現される「大人の世界観」に、とても惹かれました。特にハマったのが、ベクトルは少し違いますが、岡村靖幸さん。ある日、行きつけのお店で流れていた音楽に衝撃を受けたんです。それが岡村靖幸さんの曲で、もう虜になりました。
――それが、降幡さんの「80'sシティポップ」のルーツになっているんですね。ここまで好きな音楽について聞きましたが、ご自身で楽器を演奏したり、音楽に関する習い事をされたりはしていましたか?
小学校高学年くらいから吹奏楽部に入り、中学校でも3年間やり切りました。
――吹奏楽部ではどの楽器を担当していましたか?
パーカッションです。でも私、リズム感がなくって……。中学校の顧問の先生に「お前はリズム感がない!」ってはっきり言われました笑)。だから、パーカッションのなかでも、音階がある木琴や鉄琴ばかりを担当していました。
――私も高校・大学と吹奏楽部に所属していて、大学ではパーカッションを担当していました。
なんと! でも、ドラムとかのリズム隊……ですよね?
――主に担当していたのは、そうでした。
私は本当に一定のリズムを刻めないので、できる人はすごいなと、いつも思っていました。
――むしろ、鍵盤楽器をできるほうが尊敬します!
ちゃんとマレットのふたつ持ちもできますよ(笑)。打楽器は面白い楽器がたくさんあって、音を聞くだけで楽しいですよね。
――わかります。今回のミニアルバムの中にも、印象的な打楽器の音が散りばめられた楽曲がありました。
そうですね! あと、幼稚園から中学1・2年の頃までは、ピアノも習っていました。こちらもセンスがなくて・・・笑ピアノの先生に迷惑をかけましたが、そのおかげで楽譜を読めるようになったので、習っていてよかったなと思います。先生にも感謝ですね。
――通われていた専門学校では、音楽について何か学ばれましたか?
私が入学したころには多方面で活躍する声優さんが増えていたので、マルチな活動もできるよう、ダンスや歌なども授業で教えていただきました。とはいえ、自分としては表に出る仕事はやらないだろうと思っていたんですよね。ただ、声優活動を始めてから割と早い段階で、表に出る仕事もやるようになって(笑)。最初は驚きもありましたが、テレビ出演などをした際に祖父母が喜んでくれるので、今ではそういう活動をポジティブに捉えられています。お芝居とは違った喜びがあるなと思いました。