スーパー戦隊シリーズが子どもたちから安定した人気を集める中で、吉川氏は「戦隊」と並ぶ第2の目玉路線を生み出すべく、企画を進めていた。それが、ポピーで商品企画・開発を行っていた村上克司氏(現:ライブ・ワークス代表)がデザインした、メカニカルな外見を持つ宇宙ヒーローから発想した「宇宙刑事」というアイデアだった。スーパー戦隊の「乗用マシン、巨大母艦、変形メカ、巨大ロボ」に匹敵するボリュームのメカニックを「単体」で扱うことのできるヒーロー像を探った結果、宇宙的規模のスケール感を備えるパワフルなヒーロー「宇宙刑事」となったわけだ。
これまでにない新たなヒーロー路線として企画された『宇宙刑事ギャバン』(1982年)は、吉川氏がこれまで手がけてきたさまざまな特撮ヒーロー作品のノウハウを結集させ、「勝負をかけた」作品だった。主役の一条寺烈/ギャバンを演じる大葉健二は、『バトルフィーバーJ』の曙四郎/バトルケニア、『電子戦隊デンジマン』の青梅大五郎/デンジブルーと、吉川氏のプロデュース作品に連続出演して人気を博した、JAC(現:JAE)のアクション俳優だった。そして、脚本・上原正三氏、高久進氏、音楽・渡辺宙明氏、アクション監督・金田治氏、特撮監督・矢島信男氏、キャラクターデザイン・増尾隆之(現:隆幸)氏、野口竜氏、造型・前澤範氏(レインボー造型企画)、監督(第1~3話ほか)・小林義明氏など、吉川氏がこれまでの作品で組んできた「ベストメンバー」を結集し、吉川氏、折田氏は「これが失敗したらもう後はない」といった覚悟を決めて作品制作に臨んだという。
かくして第1話が放送された『宇宙刑事ギャバン』は大好評をもって子どもたちに迎え入れられ、スーパー戦隊シリーズと並ぶ新たな路線となることができた。『ギャバン』の母体組織である「銀河連邦警察」という大スケール設定を1作だけで終わらせてしまうのは惜しいという考えもあって、次回作『宇宙刑事シャリバン』(1983年)は、ギャバンに命を助けられた若者・伊賀電が宇宙刑事シャリバンとなり、銀河パトロール隊隊長に昇進したギャバンに代わって地球の守りにつく……という"世界観の引き継ぎ"が行われることになった。ギャバンからシャリバンへとバトンが渡されたことで「宇宙刑事シリーズ」が誕生。「スーパー戦隊シリーズ」よりも少し上の年齢層をターゲットにして、ドラマ性をいっそう深めた作劇を目指した。そして、当時の最新映像技術であるVTR合成(東通ECGシステム)を用いることで、魔空空間や幻夢界といった異次元空間の映像表現に重点を置いた。
宇宙刑事シリーズは第3作の『宇宙刑事シャイダー』(1984年)まで続いた。『シャイダー』の企画が立ち上がる以前から吉川氏は、『野菊の墓』(1981年)で内外から高評価を得た澤井信一郎監督の優れた映像感覚に着目し「ぜひ次の"宇宙刑事"を撮ってほしい」と誘っていた。それまで劇場映画でスタッフを務めており、特撮ヒーロー作品未経験だった澤井監督は最初こそ戸惑ったが、『宇宙刑事シャリバン』のテレビ放送を観てクオリティの高さに感心し、参加を決めたという。
『シャリバン』から『シャイダー』にシリーズが移ろうとしていたころ、吉川氏が中心となって「スーパー戦隊」「宇宙刑事」に続く"第3の路線"を確立しようと、ひとつの新企画が立ち上がった。それが、石ノ森章太郎・原作の特撮アクションドラマ『星雲仮面マシンマン』(1984年)だった。その名のとおり「マシン(車)」と一体化して地上や空中を高速移動する未来的ヒーローの活躍を描く本作では、「スーパー戦隊」「宇宙刑事」それぞれのシリーズから抜擢されたスタッフの自由で柔軟な発想が作品作りに活かされ、徹底的に「子どもたちの目線」を意識して、シンプルで明るい作風が志向された。後に数々のキャラクター作品・特撮ヒーロー作品を手がけることになる日笠淳氏が初めてプロデューサーを務めた作品でもある。チーフプロデューサーの吉川氏は中盤より阿部征司氏と交代。阿部氏は本作の後を受けた『兄弟拳バイクロッサー』(1985年)も担当した。
共通の世界観を有する「宇宙刑事シリーズ」を『シャイダー』で終了させた後も、同じく「宇宙」的規模のスケール感を備えつつ、東映特撮としてはひさびさとなる「怪獣」ジャンルに挑んだ意欲作『巨獣特捜ジャスピオン』(1985年)や、『シャリバン』での熱き演技とアクションが好評だった渡洋史をふたたび主役に据え、シリーズの集大成を目指した『時空戦士スピルバン』(1986年)、ドラマ中心の重厚なキャラクター群像劇『超人機メタルダー』(1987年)と、シリーズはさまざまに形を変えて継続していった。
『ジャスピオン』と同じ時期、吉川氏は『ゲゲゲの鬼太郎』を実写ドラマ化するべくフジテレビと企画を進めていた(惜しくも実現ならず、フジテレビ側の要望で最終的にアニメ作品となった)。1985年には、小林義明監督による実写版『ゲゲゲの鬼太郎』が「月曜ドラマランド」枠で放送されたほか、1987年に東映ビデオで『ゲゲゲの鬼太郎 妖怪奇伝 魔笛エロイムエッサイム』と題されたオリジナルビデオ映画(監督:小林義明)が発売されている。両作品とも吉川氏の狙いとする"怪奇・幻想の世界"が小林演出によって見事に表現され、東映特撮の面白さが「水木しげるワールド」に落とし込まれた傑作となり、現在でも熱烈なファンが多く存在する。
その後も吉川氏は、スタッフを一新してまったく新しい「仮面ライダー」の"復活"に努めた『仮面ライダーBLACK』(1987年)、その続編として仮面ライダーの枠を外れた意欲的なアイデアをぞくぞく投入した『仮面ライダーBLACK RX』(1988年)を、堀長文氏と共にプロデュースしたほか、『メタルダー』のキャラクター群像路線を強化したユニークな忍者アクションドラマ『世界忍者戦ジライヤ』(1988年)、かつてない重厚感を備えたロボット刑事ヒーローの活躍を描く『機動刑事ジバン』(1989年)を折田至氏と共に手がけた。そして80年代後半から90年代にかけて世間に巻き起こった「レンタルビデオ」ブームを受けて、1990年には『女バトルコップ』、1992年に『真・仮面ライダー序章(プロローグ)』、同じく1992年の『大予言 復活の巨神』と、特撮やアクションを駆使した「オリジナルビデオ映画」作品を企画・制作している。
オリジナルビデオ『真・仮面ライダー』の好評を受け、新たに「劇場版仮面ライダー」の企画が浮上。第1回バンダイ・東映提携作品『仮面ライダーZO』(1993年)が「東映スーパーヒーローフェア」の1本として劇場公開された。東映スーパーヒーローフェアは、第2回『仮面ライダーJ』(1994年)、第3回『人造人間ハカイダー』(1995年)と続き、3作品すべての監督を務めた雨宮慶太氏は新時代の映像クリエイターとして、各方面から熱き注目が集まった。
ここまで挙げた作品以外にも、吉川氏がプロデューサーとして尽力した作品はいくつか存在しているが、そのすべてをご紹介しきれなかったことをお詫びしておきたい。スーパー戦隊シリーズでは、第18作『忍者戦隊カクレンジャー』(1994年)と第19作『超力戦隊オーレンジャー』(1995年)に吉川氏の名前がクレジットされた。『オーレンジャー』は脚本で上原正三氏、曽田博久氏の"復帰"もあって、初期のスーパー戦隊のような雰囲気をいくつかのエピソードで感じることができた。
2019年の終わり、筆者は横浜・放送ライブラリー企画展「スーパー戦隊レジェンドヒストリー ~ゴレンジャーからリュウソウジャー、そして未来へ~」開催に向けたメッセージをいただくため、神奈川県にある吉川氏の自宅にうかがい、お話を聞いた。吉川氏はテレビドラマ創世記における数々の苦労話や、東映プロデューサーとして多忙だった日々の思い出、そしてこのときの取材のテーマである「秘密戦隊ゴレンジャー」誕生の背景や製作方針についてなどを抜群の記憶力で、時おり身を乗り出しながら熱く語ってくださった。最新のスーパー戦隊シリーズだった『騎士竜戦隊リュウソウジャー』(2019年)についても細かな部分までご存じで、毎週しっかりとチェックを入れていることがわかって取材者一同、深く感心することしきりだった。
吉川氏は『時空戦士スピルバン』DVD VOL.4解説書(2005年取材)にて、次のような言葉を残している。
「子ども番組に携わる者の基本姿勢として、まだ未成熟の子どもにはその純粋無垢の心に悪影響を与えてはいけません。常にやってはいけないこと、やっていいことを判断できる基準をわきまえることが大事だと思っています。そして正義と友情と愛をテーマに、夢と冒険で胸がわくわくするドラマを作りたいと思います」
幼いころから海野十三、山中峯太郎、江戸川乱歩、コナン・ドイルたちの生み出す数々の冒険物語を愛してきた吉川氏。その心の中にはいつまでも"少年時代の夢"がたっぷりと詰め込まれていたに違いない。
「正義・友情・愛」に満ち溢れた数々の特撮ヒーロー作品を送り出してくださった吉川進氏のご冥福を、心からお祈りします。