大川小学校跡地へ
震災復興を旗印とする今回の東京オリンピック。聖火到着式会場の約30キロ先には、津波で74人の児童と10人の教職員が犠牲になった大川小学校跡地があったので向かってみた。強風で波立つ北上川の河口近くにある大川小学校付近は、遺構として残された校舎以外の街並みは全て津波で流されていて何もなく、今後は慰霊・追悼の場として周辺整備が予定されているとのこと。あたりには、ダンプや重機がひっきりなしに走り回っていた。
現地では「大川伝承の会」共同代表の鈴木典行さん(55)に話を聞くことができた。大震災当日の事実関係は他の記事に譲るとして、鈴木さんも当時、同小学校6年生だった次女・真衣さんを失った遺族の1人だ。津波の2日後、積もった土砂を素手で掘り進めて我が子の遺体を地中から抱き上げたときの話は、胸に迫るものがあった。鈴木さんは聖火ランナーにも選ばれていて、「娘の名札をつけて走るんです」とおっしゃっていたが、原稿執筆時点でランナーによるリレー中止のニュースが飛び込んできている。
復興は道半ば
当日は松島のホテルで1泊。部屋から朱塗りの「福浦橋」(出会い橋とも呼ばれている)や夜明けの三日月、日の出などの絶景を楽しんだのち、早朝から伊達政宗ゆかりの瑞巌寺を訪ねたり、小型船を貸し切って松島の海からの景色を堪能したりした。
湾内の野々島に自宅がある「第2しらゆり丸」の船長さんの話だと、今の松島はそこそこの人出はあるものの、五輪景気を当て込んで数を増やした小型観光船の多くが開店休業の状態なのだという。
午後は石巻市に移動。狭い急坂をS124で駆け上り、頂上の日和山公園(震災当日は多数の市民がここに避難した)の駐車場に到着した。公園内には、震災前の市内の様子を撮影した写真が設置してある。市街地を見下ろすのにちょうどいい場所なので、震災の前後で街の様子がどう変わったかがよく分かった。そして、復興がまだまだ道半ばであることも。
またも好燃費を記録!
午後3時過ぎに石巻を出発し、往路と同じルートで東京へ。いわきあたりまでは、昨日ほどではないものの相変わらず横風が強く、平均時速も下がり気味だった。途中、流山付近で事故渋滞(25キロ、2時間以上)との情報を得たので、つくばJCTから圏央道に迂回し、入間ICで一般道に降りたところでGSに入る。2日目のトリップメーターは530キロ。ハイオク41.18リッターを給油したので、満タン法での燃費はリッター12.87キロというかつてないハイスコアを記録した。クロスクライメートが好燃費を叩き出すオールシーズンタイヤであることを証明してくれたのだ。
今回のロングドライブは、風という思いがけない敵に苦しめられたが、いろんなものが見られただけでなく、現地の人たちの話もたくさん聞くことができて、とても有意義な旅になった。どんなシチュエーションでも気にせずに乗ることができたオールシーズンタイヤの存在にも感謝しないといけないかもしれない。