■お笑い芸人&ゴミ清掃員の兼業「心の逃げ道に」

――『このゴミは収集できません』には、第一子の出産費用のために、ゴミ清掃員の仕事を始めたと書かれていました。いわば、生活のためだったわけですが、そこから「ゴミあるある」など、仕事の中に面白さを見つけるようになったのには、なにかきっかけがあったんですか。

単純に苦しかったからですね。最初の1~2年は仕事がハードすぎて、家に帰ったら寝るだけの生活で、お笑いの方にも支障をきたすほどでした。この生活を続けていたら、どちらの仕事も続かないと思っていました。でもそんな中で、「面白いことはないかな。芸人の方でしゃべってやろう」と意識するようになってから、ゴミ清掃員の仕事が楽しくなりました。

――ゴミ清掃員の方では、今や正社員として勤務されていますね。

現在はそっちの方が本業ですね。10:0でゴミ清掃員です(笑)。まあ、それは大げさですけど、こうやってゴミのお話をすることもゴミ清掃員の仕事だといえますし、どちらに力を入れているというわけではなく、「同じ仕事」という認識です。清掃員の仕事で嫌なことがあったら、お笑いライブでネタにしようと思えるし、ライブですべったら、明日は清掃員の仕事があるからいいやと思えます。心の逃げ道になってますね。

――それぞれの仕事が、良いように作用し合っているんですね。

俺らの世代は、「1個のことを続けなさい」と教え込まれたんですけど、それが閉ざされたときに気持ち的にキツくなるじゃないですか。42歳でネタで大ブレイクするって考えにくいですしね。どちらにしろ、生きていかなければならないわけですし、逃げ道をつくるといいますか。そう考えると、やっぱり副業は別に悪いことでもないなと思いますね。

――今や、企業でも副業が解禁されるようになりました。そういった意味では、滝沢さんは時代を先取りしていたとも言えますね。

そうですね。僕の場合は生活のために、そうせざる得なかったという感じですが(笑)。ライブですべってもノーダメージなので、ゴミ清掃員がもたらした功績はデカいです(笑)。

■「助けてあげたい」という人間に成長できた

――そのような境地に達したのは、いつぐらいからなんでしょうか。よく芸人さんからは「若いころは尖っていた」という話もお聞きしますが、滝沢さんはいかがでしたか。

自分の中では尖っていたつもりはないですけど、やっぱりあったんじゃないですかね。周りの芸人には負けたくないというのはありましたし、『M-1』などでも、やはり「優勝したい」「自分たちが一番面白い」という気持ちでやってました。

でも、仮に『M-1』で優勝して売れていたとしても、つぶれてしまって、もう芸人をやっていないだろうなと思いますね。今のように、「すべってもどうでもいいや」ぐらいに思って、気楽に仕事するぐらいが性に合っているなと。

――そうなんですね。

それに昔と比べると、今の方が協力してくれる人が多いですね。僕が人間的に丸くなり、周りが「助けてあげたい」という人間に少しは成長できたのかなと思います。「怖気づいているだけじゃないか」と思う人もいるかもしれないですが、少なくとも僕は、前の自分よりは今の自分の方が好きなので、納得していますね。本まで出せるようになったのも、色んな人のお力添えがあってこそです。