高橋名人は今のeスポーツに何を思う?

――そこまでの規模になると、現在のeスポーツと近いものがありますね。そういう経験を30年以上前に経験した高橋名人にとって、eスポーツはどのように見ていますか。

名人:1つの大会を行うのにも賞金や法律の問題がありますからね。まだまだクリアしないといけないことは多いイメージです。

たとえば、1000万円の優勝賞金の大会を開く場合、少なくとも5000万円くらいの予算が必要になるんですが、メーカー主導だと、プロモーション費と考えてもなかなか出せるものではありません。しかし、プロゲーマーが職業として活動していくためには、このクラスの大会が最低でも月に1回はないとつらいわけです。

海外の場合、参加費や課金キャラクターの代金の数パーセントを賞金に当てるということで、運営できているんですが、日本だと賭博法や景品表示法に抵触してしまうので、そのやり方ではできません。このあたりは早く改正してほしいと思います。

――キャラバンなどのイベントが「元祖eスポーツ」だとすると、名人は元祖eスポーツプレイヤーとなるわけですが、プレイヤーとして選手に対して思うところはありますか。

名人:僕は結局、会社員で、宣伝することが仕事でした。たとえば、会社にとってみれば15秒のCMには莫大なお金がかかりますが、10分のテレビ番組に出演できればCM40本分の価値があるわけです。なので、僕はどちらかというと、腕前を競うよりも、見せ方がうまくなるように考えていました。そのため、僕はゲームの腕がそこそこでも良かったんですけど、今のプロプレイヤーはそこそこではダメなので大変ですよね。

先ほども言いましたが賞金額が上がってきているとはいえ、大会の回数は少ないので、一部の人しか稼げていないわけです。ゴルフのように大会数も多く、さらにコーチの仕事もあるという状態になっていかないと、多くのプロは生活できないでしょう。

賞金総額3000万円くらいの大会が、月に1回あるといいでしょうね。平均100万円ずつでも獲得できれば、年間1200万円になるので、最低でもそれくらいはないと。

――プロプレイヤーになると、大会の結果だけでなくタレント性も求められますが、そのあたりはいかがでしょうか。

名人:僕が当時、気をつけていたのは、子どもたちに好かれる以上に、お母さんに好かれることです。家計を握っているのはお母さんですし、しつけをするのもお母さんでしたから。僕が言っていた「ゲームは1日1時間」というセリフも、子どもたちに向けているようで、6割くらいはお母さんに向けていたんですよね。「高橋名人が1時間って言っているでしょ」って子どもに言ってくれたらそれでもう目的は果たせているわけです。

また、僕を理由にしてくれることで、もし、子どもが新しいゲームを欲しくなったとき、「高橋名人が推しているのであればしょうがないな」ってなりがちですからね。

そうやって、ゲームをやる人だけじゃなく、その周りの人に好かれて、気になってもらえる存在になってほしいと思います。僕のころも「名人」と呼ばれる人はたくさんいましたが、現状で名人と呼ばれる人が今どれくらい残っているか考えれば、どのようなやり方が正しかったのかわかるでしょう。

今、eスポーツやゲームを取り扱う番組が増えてきて、ゲームプレイヤーも多く出演していますが、ゲームとは関係のない番組にも呼ばれるようになってほしいです。そして、たとえば、野球のイチロー選手のように、有名になればなるほど、子どもたちの中により入りこんでいって、一層強い憧れを抱かれるような選手になってくれればうれしいですね。

――高橋名人は、eスポーツを運営する側でもありましたが、運営側に対して感じることはありますか?

名人:今は注目されているので、eスポーツに関することをすれば儲かるって思っている人も多いでしょう。でも、現状では簡単に儲けることは難しい。2~3年は、先行投資として、宣伝のためと思って大会を運営してもらい、長期スパンで考えてほしいなと思います。

――最後に、今回の「高橋名人の16連ダッシュ全国大会」は、1度ゲームオーバーになると復活するために連射をする必要がありますが、現在でも16連射はいけるのでしょうか。

名人:今は無理ですねー(笑)。たぶん12連射くらいがいいところじゃないですか。キャラバンのように5分間プレイするとなると、平均8~10連射くらいになってしまうかもしれないです。連射のピークは27歳のころだったんですよ。当時、連射の様子を撮影してもらったことがあるのですが、10秒間で174発撃っていたのが確認されました。17.4連射ですね。

――常人は5分間連射し続けることがすでに無理なので、まさに名人健在って感じですね。ありがとうございました!

  • 実際に連射を見せてもらった。謙遜していたが、そのスピードはまさに“名人”だった