▼一途に声優を目指し、挫折も味わってきた
――筆村さんの声優を目指そうと思ったきっかけは?
筆村 もともとアニメやゲームが大好きだったんです。12、3歳のときに『アイシールド21』というアニメでアフレコ収録の現場がテレビに映ったことがあって、それを見てから自分も声優になりたいと思うようになりました。
――筆村さんは1級小型船舶操縦士免許もお持ちということですが、声優とは別にこうしたお仕事も目指していたのでしょうか?
筆村 実はこれも、声優を目指していたことと関係していて……。僕は北海道生まれなんですが、声優学校が近くにないので、どうしても声優を目指すのが難しい。一度お母さんに「声優になりたいんだけど」と相談をしたら「難しい世界だからやめたほうがいいんじゃない?」ってやんわりと諭されて。僕はそこで「もう相談しないで勝手に目指そう」と思ったんです(笑)。
――たくましいですね!
筆村 それで、上京する手段を探していたら、水産高校は東京での就職が多いことを知りました。そこを卒業して東京で就職したら、働きながらレッスンを受けて声優を目指せるなと思って、水産高校に入学したんです。ちょっとずるがしこいんですけどね(笑)。
――すごく戦略的な進路選択ですよね。その過程の中で船舶免許をとったんですね。
筆村 そうなんです。18歳のときに横浜の船舶関連の会社に就職したんですが、上京して1カ月後にはスタイルキューブのオーディションを見つけて、そこで研修生に合格して、今があります。当時は、声優の学校に通うために貯金しないといけないので、通うのは就職してから3年後くらいかなってなんとなく考えていたんですけど、ケイティと同じように「レッスン無料」に惹かれて、「これだったらできるじゃん!」って応募してみたのがきっかけでした。
――その後、1年で会社を辞めて声優1本に絞ったとのことですが。
筆村 もしも声優になれなかった時のことを考えると、そこで3年くらい勤務していたほうがいいんじゃないかとは思っていたんです。だけど、働きながら研修生を続けて1年経った頃、このまま中途半端に目指していても、一生オーディションに合格できないし研修生のままで終わっちゃうと思って、会社を辞めました。
――声優になりたい意志がとっても強かったんですね。その志が折れたことはなかったのでしょうか?
筆村 何度も折れそうになったし、実際に折れたこともあります。就職も、事務所への所属もトントン拍子に進んでいたので、僕って天才なのかもしれないと思っていたんですよ(笑)。でも、事務所に入ったらそこで天才じゃないことを知ったんですよね。
――初めてそこで挫折を味わったと。
筆村 お芝居で、自分の中でうまく役をつかめなかったり、ダンスも歌も実力が足りなかったりと、実際にお仕事されている声優さんと、自分とのギャップの大きさに気づいたんです。それがショックで、現実を見ないようにしちゃって、自分の能力を高めることを行動に移せない時期がありました。このままだと状況は変わらないからと、事務所から相談もあり、半年から1年ほど離れていたんです。
▼自己プロデュースの一環でヘアメイクも
――戻ってこられたのはどんな思いからだったのでしょうか?
筆村 やっぱり、僕は何のために東京でひとり暮らしをしているんだっけ、僕が目指していたものは何だっけという、原点に立ち返った思いからでしたね。あの1年は、気持ちを整える期間だったのかなって思います。
――声優だけでなくヘアメイクのお仕事をされていたこともあるとうかがっていますが。
筆村 ヘアメイクのお仕事にも、もともと興味があったんです。いつも僕たちを担当してくださっていたヘアメイクさんのアシスタントとして勉強していたこともありました。
――そのうち声優の仕事に役に立つかも、という目論見があったのでしょうか?
筆村 それもありますが、声優とはまた別にヘアメイクさんという仕事にも憧れがありました。もちろん今は声優として頑張っていきたいです。
――今も自分のヘアメイクは自分でされるんですか?
筆村 ヘアメイクさんがいらっしゃらないときは自前です。というよりも、僕は外に出るときは基本的にメイクをして出かけているので、その延長ですね。自分のメイクにはこだわりがあって、こうしたほうが自分をよく見せられるんじゃないかって、自己プロデュースの一環でやっています。
――筆村さんもやはりダンスが上手ですよね。奥山さんにたくさん学んでこられたのでしょうか?
筆村 そうですね。うちの事務所はなぜか踊れる人が多くて、そのレッスンに参加しても、ついていくのがやっとだったんです。だから、同期としてケイティがいたので、「このステップはどうやるの?」とか聞いたり、ケイティを見て盗んだりして、学んでいきました。だから、ケイティの真似をしているところはたくさんあると思います(笑)。