東急池上線は、五反田と蒲田を結ぶ10.9kmの短い路線だ。全線が東京都品川区と大田区に含まれる。建設したのは池上電気鉄道で、1922年に蒲田~池上間が開業したことに始まる。鉄道敷設の名目は、池上本門寺への参詣客輸送であった。
その後、池上電気鉄道は路線延長を細かく繰り返し、1927年10月9日に大崎広小路まで開業。これが今回の「開通90周年」の根拠となっているようだ。五反田まで残り0.3km区間の完成、全線開業は翌年6月17日に持ち越されている。
ただすでにその時点で、目黒蒲田電鉄が数kmしか離れていない並行ルートに目蒲線(目黒~蒲田間)を1923年に開業させており、1929年には大井町線も全線開業させた。そうなると、競合により池上電気鉄道の業績は頭打ち。建設費の利子負担が重くのしかかってきたのである。
東急とは別会社が建設した池上線
結局、池上電気鉄道は1934年に目黒蒲田電鉄に吸収合併されて池上線となる。この目黒蒲田電鉄こそ、東急の直接のルーツである。
また1923年の関東大震災以降、都心部の住宅の郊外移転が加速したことから、都心への便がよい目黒蒲田電鉄各線沿線は、急速に都市化が進行していた。それゆえ戦後の高度経済成長期が始まる以前には、狭いエリアが低層住宅で埋まってしまっており、それ以上の発展が望みにくくなったのである。
さらに近接する路線として、1968年には都営浅草線泉岳寺~西馬込間も開業。このように、池上線は稠密な鉄道網に囲まれる宿命を負っていた。駅へ利用客が集まる範囲(駅勢圏)も狭く、地下鉄との相互直通運転も行われず、利用客数が伸び悩むのは必然だった。