シャープの桶谷氏の話を聞くと、それはシャープが自ら歩んできた道の反省の裏返しのようだ。

同社が経営不振に陥り、2016年8月に鴻海グループ傘下入りした最大の理由は「液晶事業の不振」であった。もともと「液晶一本足打法」と言われるほどシャープの経営を左右した液晶事業は、2001年の液晶テレビ「AQUOS」の発売以降、一気に事業を拡大させ、成長の大黒柱と位置づけられてきた経緯がある。

1998年に当時の代表取締役社長である町田 勝彦氏が「2005年までに国内で販売するすべてのテレビを液晶化する」と発言し、大きな話題となった。しかし、その言葉通りに液晶テレビの事業は拡大を続け、2004年に稼働した亀山工場、続いて2006年から稼働した亀山第2工場は、最先端生産拠点として高い競争力を誇り、拡大するシャープの液晶テレビ事業を下支えした。

当時、AQUOSに使っていた「世界の亀山」「亀山モデル」という言葉は日本のみならず、世界中の業界関係者の間でも注目を集めるものとなった。

だが、2008年のリーマンショックの影響で市況は大きく変化。さらに液晶技術の海外流出で、競争力を持った韓国・台湾勢が、液晶事業および液晶テレビで勢力を拡大した。さらに日本は1990年代以降の円高ドル安という長期トレンド、それに追い打ちをかける超円高という環境に遭遇。一方で韓国はアジア通貨危機などを背景に"超ウォン安"となり、この為替格差が韓国勢の世界シェア拡大に弾みをつけた。

実際に円とウォンの為替ギャップは、リーマンショック期に最大でマイナス39%にも達していたという。当時、社長を務めていた片山幹雄氏が「為替の差は、性能の違いでは埋めきれないほどの差になってしまった」と残念がっていたことを思い出す。さらに景気後退による需要減の影響で、最も普及していた32型液晶パネルの価格が1年で29%も下落。日系メーカーは円高の進行によって、採算上で36%もの売価ダウンを余儀なくされていた。

大阪府堺のシャープ本社

そうした環境にも関わらず、シャープは2009年に第10世代のガラスパネルを使用した最先端液晶工場「シャープディスプレイプロダクト(現・堺ディスプレイプロダクト)」を稼働。事業成長を前提に稼働した新工場は、目論見どおりの稼働率を実現することができず、これが経営を圧迫することになった。その後、液晶テレビ事業は縮小を続けたのちに、欧米市場における液晶テレビ事業から撤退し、ブランド供与ビジネスへと移行する結末を迎えた。

一方で液晶テレビ事業が苦戦し始めた頃、スマートフォンやPCなどに利用される中小型液晶パネルの事業はまだ順調であった。2007年にアップルが発売したiPhoneをきっかけにスマホの販売が右肩上がりで急成長。これが、シャープの中小型液晶事業を成長事業へと転換させたからだ。

しかし、中小型液晶事業の好況も長くは続かなかった。中小型液晶事業における成長の切り札としていた「IGZO液晶」の量産が遅れたことで、スマホメーカーの商品化時期がずれ込むといった影響が発生。そうした問題もあってか、大口顧客のAppleからの受注減を受けて生産拠点の稼働率が低迷し、負のサイクルに陥っていった。

さらに急成長をはじめた中国スマホメーカーの商談を取り合うといった動きが加速。価格交渉が軸となっていたため、液晶テレビ事業と同様に価格下落が進んだ。実際、JDIの攻勢によってシャープが失注するなど、日本陣営がお互いの首を絞める戦いにまで陥っている。

このように振り返ってみれば、シャープの液晶事業は大規模投資を続けてきたものの、結果として市場変化と需要の飽和、競争激化を見誤った。そこに円高が追い打ちをかけ、世界市場における競争力を失ったといえる。シャープの液晶事業は描いた成長戦略を実行できず、大型液晶事業に続いて中小型液晶事業でも競争力を失うことになってしまったのだ。

シャープだけではない"技術流出"の禍根

だがシャープは鴻海傘下に入って以降、業績を回復している。そして経営不振の元凶となったディスプレイ事業も、2016年度下期から黒字に転換。欧州ではシャープブランドを供与していたSKYTEC UMC LTDを逆に買収して子会社化しており、欧州での液晶テレビ事業を再スタートした。さらに2018年度には、全世界で1000万台のテレビ出荷計画を掲げるなど、まるで液晶テレビ事業最盛期のような動きをみせている。

かつて世界の液晶市場の中心にいたシャープが一連の経験をしたからこそ、「いまこそ、『大日の丸連合』を形成すべきという提案につながる」(桶谷氏)と話す。シャープが液晶事業で競争力を失った理由はいくつかの要素が絡み合っているが、その提案にも繋がる最大の原因が「技術流出だ」と桶谷氏。

「液晶パネル技術が、韓国、台湾、中国へと相次いで流出した。これは、シャープの液晶事業だけに言える話ではなく、日本の液晶ディスプレイ産業全体にいえることだ」(桶谷氏)