日本のアーティストはどのように売り出していくべきか

続いて、YOSHIKI氏と三木谷社長が「クリエイティビティとアントレプレナーシップ(企業家精神)」をテーマにトーク。

YOSHIKI氏と三木谷社長が対談

Q.映画『WE ARE X』によって、自身やX JAPANを振り返ったかと思いますが、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンのステージに立つに至るまでに、どのようなチャレンジがありましたか?

YOSHIKI氏: X JAPANはデビューして30年ほど、また僕がアメリカのロサンゼルスに住み始めてから20年以上経っています。子供の頃から、日本では「日本武道館でやりたい」「東京ドームでやりたい」などが挙がっていく中で、海外ではニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンでやりたいという気持ちがどこかにありました。とはいえ、急にたどり着けるものでもありません。ただ、今までに「夢は叶うんだなあ」と思う経験があったので、自然にゴールにたどり着けると思っていました。何かターニングポイントがあったわけではなく、ひたすらゴールに向かっていただけなんです。

マディソン・スクエア・ガーデンを目指すときに、「何で僕はできないんだろう」というネガティブ要素を削っていったんです。例えば、お客さんとコミュニケーションをとることが必要。それなら、英語を学ばなければならない。勉強して、英語はできるようになった。じゃあ次は、アメリカでも集客ができるバンドにならなければならない、というふうに。それを一つずつクリアしていったら、気づいたら(マディソン・スクエア・ガーデンの)ステージに立っていました。さすがに感極まりましたよね。

三木谷社長: 努力がすごいじゃないですか。私もアメリカにいることが多いので、YOSHIKIさんとはロサンゼルスでご一緒させてもらうことが多いんですが、英語も1日5時間以上勉強していらっしゃる。長い付き合いで、天才だとは思っていましたが、天才の裏にはこの振り切ったアナーキーさと、音楽の面でも語学の面でも地道な努力があり、尊敬しちゃいます。

Q.日本のアーティストやバンドが海外で活躍する意義をどのように考えていますか?

YOSHIKI氏: 映画を見ていただくと、僕はとても不幸な道を歩んだように思われるんですが、実はすごく幸福な面もあります。不思議なもので努力をしていると、自然と波ができてくる。僕は昔から波は乗るものじゃない、つくるものだと言ってきましたが、30年前にもし日本のアーティストが海外でチャレンジしようとしたとしても、多分無理だったと思います。僕らが20数年前にアメリカで記者会見を行ったときに、ものすごい数の記者に集まっていただいたんですが、中には「何で成功すると思っているんだ」という攻撃もありました。そのとき、「すごいなあ」と、いきなり洗礼を受けました。

それから何年か経って、日本食やアニメーションなど、日本のカルチャーがだんだん海外に広まっていきました。気づいたら日本人であることが海外の人にとって結構カッコイイ存在になっていたんです。なので、自然と、日本のカルチャーの中に身を置いている自分たちが、アメリカでも認められるように。そこに重ね合わせて、X JAPANも努力をし始めたというか。そういうふうに状況が好転していったんです。三木谷さんもそのように感じますか?

三木谷社長: そうですね。YOSHIKIさんの場合は音楽性もロックだけではなく、クラシックもやっていますし、世界をみてもそういう人はあまりいないんじゃないですか。私は東京フィルハーモニー交響楽団の理事長をしていますが、今年1月にはYOSHIKIさんとのコラボレーションもありましたね。

YOSHIKI氏: 僕はクラシックピアノを子供の頃から弾いていて、父親を亡くしたときにドラムを始めましたが、いつかニューヨークのカーネギー・ホールでピアノを弾きたいと思っていたんです。バンドのほかに、2014年にピアノでもツアーをしていて、ロンドンやサンフランシスコなどをまわりました。そのツアーでは、そのニューヨークのカーネギー・ホールで、東京フィルハーモニー交響楽団と共演できたことは、僕も感極まりましたね。オファーがあったとき、このチャンスは何としてでも手にしなくてはならないと思ったんです。そういうチャンスって、突然くるじゃないですか。だから、いつも戦闘態勢でいなきゃいけない。