通訳業務で他国からきたボランティア仲間に衝撃を受ける
通訳ボランティアとして採用された矢野さんは、開会式・閉会式が行われたマラカナンスタジアムでバレーとサッカー競技を担当した。
矢野さん「仕事の内容はまずメディアと一般席、メディア席の前でのアクセスコントロールです。観客が選手やプレス限定エリアに入ろうとするのを制止するなど、思っていたより大変でした。また、バレー競技では、試合が終わったあとミックスゾーンで選手のインタビュー通訳業務も行いました。キャプテンのプレスカンファレンスなどで、司会者を介して一言一言英訳してプレスに伝えては、また質問を日本語訳して選手に尋ねるといった業務内容です。仕事自体は大変ではありませんでしたが、記事を書く素材を提供するという上で緊張しました」
日本語-英語の通訳として活躍した矢野さん。一方で、世界から来ている他のボランティアの姿を見て、衝撃を受けたという。
矢野さん「私は主にバレーボールを担当したのですが、衝撃を受けたのは世界中から集まっている同僚、特にヨーロッパ人は3カ国語以上を話せる人がゴロゴロいるということです。通訳チームのスタッフはハンガリー、インド、ヨルダン、チェコ、韓国などバックグラウンドは様々でしたが、ある人は英語・フランス語・スペイン語・イタリア語ができました。そのような人は、母国のチームが負けても仕事がたくさんあります。ですが、日本語と英語しかできないと日本代表チームが負けたら仕事は終わり。もうちょっと勉強しておけばよかったと思いました」
実際矢野さんが担当したバレーでは2日目に日本代表チームが敗北。その後はサッカースタジアムで仕事をしていた。
「ウサイン・ボルト選手と写真」など、通訳ボランティアならではの楽しみも
「間近でトッププレイヤーを見られるので楽しい時間だった」と矢野さんが語るように、通訳ボランティアは選手の一番近くで働ける仕事のひとつだ。楽しかったこともたくさんあったと振り返った。
矢野さん「通訳のいいところは選手にかなり近いところで仕事ができることです。一緒に写真を撮ってくれる選手もいます。期間中には選手用の食堂で、ウサイン・ボルト選手(ジャマイカ)の誕生日をお祝いしたのですが、スタッフと写真を撮ってくれて、一緒に踊ってくれました(笑)」
また、リオ2016大会では、スタッフに2~3試合分のチケットがランダムに配られ、試合の観戦もできた。「試合がシフトとかぶったこともあった」(矢野さん)そうだが、そこはスタッフ同士で交換したり、手があいた時間に見に行ったりと十分満喫できたそう。どの競技のチケットが来るかはもらってみないとわからないので、メジャーな競技だけでなく、今まで見たことのないような種目を見られる機会にもつながる。
東京2020大会へのプレッシャーを感じた閉会式
そうして迎えた8月21日の閉会式。矢野さんは会場でボランティア業務をしながら、東京2020大会へのプレッシャーを感じていたと語った。
矢野さん「最終日もマラカナンスタジアム(メインスタジアム)にいたのですが、仕事をしながら閉会式を見ていたら、隣にいた自分より若い20代半ばのブラジル人ボランティアの子が泣き始めたのです。聞くと、この4年間のために仕事をやめて、オリンピックのボランティアマネージャーとして働いたそう。彼女は『リオデジャネイロは治安、貧困、課題のある街だった。でも、この大会を混乱なく終えられたことがレガシーだ』と語ったのです。陽気なイメージのブラジル人が泣いているのをみて、感動したと同時に東京へのプレッシャーを感じました」
マリオや安倍晋三首相が登場し、非常に盛り上がった東京2020大会のプレゼンテーション。会場で見ていた矢野さんも、プレゼン後、多くの人に声をかけられたそうだ。
矢野さん「東京2020大会のプレゼンテーションが終わった後、いろいろな人が『See you in Tokyo!!』と言ってくれました。ただ、みんながそろって言うのは、『東京はできる、大丈夫』ということ。リオ2016大会は『大変な中よく成し遂げたね』というお祭りムードがありましたが、東京2020大会は『できて当たり前』と世界中が思っています」
おわりに
以上がトークセッションで語られた通訳ボランティアの業務内容だ。
世界各国の選手やスタッフと接する中で、非常にたくさんのことを学んだと振り返る矢野さん。彼女が担当した通訳業務には高度な語学力が求められるが、オリンピックには多種多様なボランティア業務がある。英語にはちょっと自信がないけどボランティアに関心があるという人は、2018年の選考開始に向けて勉強してみてはいかがだろうか。