筆者はiPadを使うようになって、「もっとMacは自由に発展すべきだ」と考えるようになった。もちろん、すべてのMacユーザーが、筆者のように作業の大半をiPadでこなせるようになるとは思わない。しかし、これまでのようなバランスを、必ずしもとり続ける必要はない、と考えるようになった。
例えば、MacBook Airは、11インチもしくは13インチのディスプレイを持つ薄型ボディ、十分な性能と1日充電不要のバッテリーライフの両立、Macラインアップの中での優れた価格の安さ、既存のポート類を搭載する、という現在でも非常に優等生的なスペックだ。
ただ「こうした役割はiPadに任せてしまえ」というのが、iPad Pro以降の筆者のスタンスだ。
Appleは、iPadの役割を大きくしていく努力、あるいはそれを消費者に伝えていく努力をさらに進める必要がある。販売台数の低下は、その努力不足を物語っている。その上で、Macは、より尖った存在へと磨き上げてはどうか、というのが筆者の提案だ。
すでにMacBookは、「iPhoneユーザーのための初めてのMac」という存在感を発揮しつつある。
思い切り薄型軽量にこだわり、高級感あるファッショナブルな仕上げとした。異論も多いが、既存ポート類もばっさりと切り捨てた。「充電以外にポートなんて使わないでしょ?」あるいは「ポートになにかをつなぐ人たちなんてMacBookを選ばないでしょ?」と言わんばかりだ。
今年、MacBook Proが刷新されるとしたら、iPadとの差別化、そしてユーザーを思い切り選ぶようなシリーズ展開をするのではないか、と期待している。むしろ、その方がMacを選びやすくなるはずだ。
同時に、前述の外部ディスプレイのアイディアのように、選択肢の広がりと、新たなMacのエコシステム構築が行われていくことに好感が持てる。
1980年生まれ・米国カリフォルニア州バークレー在住のジャーナリスト・著者。慶應義塾大学政策・メディア研究科修士課程修了。慶應義塾大学SFC研究所上席所員(訪問)、キャスタリア株式会社取締役研究責任者、ビジネス・ブレークスルー大学講師。近著に「LinkedInスタートブック」(日経BP刊)、「スマートフォン新時代」(NTT出版刊)、「ソーシャルラーニング入門」(日経BP刊)など。ウェブサイトはこちら / Twitter @taromatsumura