――吹き替えの場合、どのあたりまでトレースすることを目指していますか?
沢城「ご縁のあったキャラクターが一番大事にしているものだけを共有したら、ストーリーの中を走って行くのはあくまでも自分の心臓なんですよ。だから、家でチェックしているときは、とにかく彼女がやっていることをきちんとトレースする。なぜここで息を吸ったのか? すべてにちゃんと理由があり、理屈があるように考えるんですけど、いざマイク前に立ったら、相手のセリフに対応していくのがメインになります。ただ、この作品に関しては、ちょっとその割合が違っていて、できるだけアナソフィアがやっていることをトレースしたいという正義でやっています。それくらい彼女がバッチリお芝居をしてくれているので、私が入り込む隙がないんですよ。ただ、きっちりトレースして、呼吸を合わせていくと、最終的には自分自身になっちゃうんですけどね」
――息遣いなどは日本とかなり違ってくるかと思いますが、やはり最初のチェックには時間をかけるのですか?
沢城「正確に言うと、時間がかかるタイプの役者さんとかからないタイプの役者さんがいます。たとえばクラスの中でも、友達になりやすい人とそうじゃない人っているじゃないですか。それくらいのラフさなんですけど、アナソフィアはすごく話しやすい子でした。彼女の恋の話は、自分の恋の話みたいに感じちゃうし、彼女が泣いたり笑ったりしているのをみると、同情して、あいつ最悪だなって一緒に言ってあげられるような、何かそういう感覚がありました」
――自分の中で消化しやすいキャラクターだったわけですね
沢城「ただ、一つのお話の中で、事件がたくさん起こりすぎるんですよ。仕事のこと、恋のこと、家のこと。その一つ一つの琴線を踏み外さないように、収録の間、集中しているのが大変で(笑)。うっかり踏み外すと、次に進めなくなってしまうんですけど、一つのことに集中すると、いろいろ忘れてしまって……。思わず踏み外してやり直しなんてこともけっこうあります」
――役によって、そのあたりは大きく違ってきそうですね
沢城「編集のされ方によっても違ってきます。息を吸った次のカットでまた息を吸っちゃっているとか。どうやって日本語吹き替えによって折り合いをつけるかは、ちょっと技術的な作業になってきますが。たとえば、男女2人が会話しているシーンだと、女の人の顔を映すときは男の人のバックショットから撮って、男の人のアップを取るために、今度は女の人のバックショットから撮ったりするじゃないですか。この2本のラインを組み合わせてドラマはできているのですが、やはり完全には同じことはできないので、どうしてもズレが生じてしまう。上手い人だと、たとえズレがあっても、何とか筋が通るのですが、どうしても上手くつながらなくて、気持ち悪いときもあります」
――そういったズレは実写の吹き替えならではという感じですが、そのあたりで、演技の自由が制限される部分もあったりするのでしょうか?
沢城「昔はあると思っていたのですが、最近はないと思っています。それこそ、吹き替えの最初のころ、『モンティ・パイソン』などの時代だと、顔なんかガイドなんですよ。意外と顔に合っているか合っていないかなんて、気にならない。本人の中でちゃんと整理ができていれば、顔を逸脱していても、実はあまり気にならないし、無理やり顔に合わせたお芝居のほうが、逆に気になるのではないかと個人的には思っています。例えば、パパと喧嘩するシーンの場合、パパの顔しか見ていないので、アナソフィアがどういう表情かはあまりよく覚えていません。シーズン1、そしてシーズン2を通して、長い期間、彼女と一緒に手を繋いで歩いてきた時間があるので、もう2人でパパに向かっていくだけなんです。顔なんかどうでもいいというわけではありませんが、とにかく今は、パパにどうしても言いたいことがあるという気持ちだけを一緒にしている感じです」
――アナソフィア云々ではなく、パパのリアクションに合わせていくような感じですね
沢城「言うなれば、パパ役の川島(得愛)さんが日本語吹き替え版で乗せてくる声に乗っかっていくだけなので、実際、ちょっと顔と逸脱しているけど大丈夫? と思うシーンも若干あります。でも、そんなのは知らないって感じで、最後まで走り切っちゃってます(笑)。なので、観ていただく方がどう思われるかはちょっと不安ですが……」
――ちなみに、口を合わせるのもあまり意識しないのですか?
沢城「もちろん意識しています。一生懸命合わせるようにはしていますが、『それは僕らが後でどうにかするので、自由にお芝居をしてください』というのが、ミキサーの手塚さんのやり方でもあるので、『じゃあ!』って(笑)。だから、絶対に嘘だけはつけない。本当にちゃんとやれよってことだと思うので、1シーン1シーン、一緒に泣いたり笑ったりするのに絶対に嘘がないようにする。それだけは一生懸命にやったつもりです」