――最近では、「機動戦士ガンダム展」など安彦先生の原画をじっくりを観ることができる機会も多く、それらは実際のセル画や動くアニメとして観た時よりも綺麗に見えるほどです。先生にとって「画」を描く上でもっとも意識されていることは何でしょうか。

あれは昔の……いつも恥ずかしく思っているんだけど(笑)。画を描く人は皆そうだと思うけど、画に感情移入するわけだから、画面になってでてくるものと描いている本人の"気分"が、基本あまり離れないものが理想なんですよ。動きでも演技でも、自分の中にある"気分"が、割と素直に画面として表出されていくと幸せな想いになります。その状態をなるべく持続させることが大切で、そういう想いで僕は描いています。

――対外的にはクール・ジャパンと盛り上がりつつも、現在のアニメ業界はそれを取り巻く環境や道義性、給与面など警笛を鳴らされている方も多いです。先生から見て、現在のアニメ業界、アニメそのものについて、ご意見をお聞かせください。

業界トップの人は色々苦労が多いと思うけれど、業界自体の体力は間違いなくついていると思っています。もちろん採用環境など社会的な評判は悪いけれど、相当改善できるはず。業界総体として足並みが揃わない側面もありますが、今回の現場を見ている限りは、かなり相互理解が進んでいる。制作サイドがクリエイターを見る目というのも、昔と相当違っているし、決して悲観的になる必要はないと僕は思っています。

一つ心配な面があるとすれば、先ほどお話したことにも通じますが、ややスタッフの活力にかけるかなということ。表現者側がディテールで縛られていることによって、それを"普通の状態"と飲み込みすぎている部分はある。そうするとあまりいい方向に弾けていかないだろうし、もっと元気になって欲しい。元気になることで、色々と周辺環境も変わっていくのではないかと期待しています。

――こうしてまたガンダム制作に関わる中で、ファーストガンダムの特殊な側面や新たな発見はありますか。

僕の中で『機動戦士ガンダム』というのは、やはり歴史物語なんですね。僕は歴史物語の漫画をメインに描いているけれど、『ガンダム』もその延長上にある。ジャンル的にはSFだしそこを否定するつもりはないけれど、こうして再構成してみると改めて歴史物語の側面が浮かび上がってくるんです。『ジ・オリジン』を描く上で物語の射程を過去10年に伸ばした時、改めて"歴史"を認識できた。うまく流れが描けるんですよね。それは端につじつまを合わせたのではなくて、すでにあるべきものとしてそこに流れていたということです。

――漫画でシャアの過去を描くことが決まった当時、先生は想定外ともおっしゃっていましたが、その確信があったからこそ挑戦できたと。

そうです(笑)。確かに描くことそのものは想定外だったのだけれど、一端根っこを掘り始めて、しっかりえぐってみると、『ガンダム』という物語にはこういう伏流水みたいなものがあることがわかった。流れが繋がっていくんですね。これは昔『ガンダム』を作っていた時にはまったく考えていなかったことで、この作品の重さと深さを改めて感じる機会でもあったわけです。

――最後にガンダムのファン、そしてこれからガンダムに初めて触れる方々へ一言お願いします。

「ガンダムは人間ドラマである」ということは以前から言われていました。ただ、表現がつたない部分もあって、「どこが人間ドラマだ?」という反論や疑問もあったんです。今回「ナチュラル」な表現ということを相当心がけて描いているので、観た人が「なるほど、確かに人間ドラマだな」と思っていただければ本望です。今回の第2話は、そういった側面が最も強い。ほとんど人間ばっかりですからね。まず人間たちのドラマがある。その上にモビルスーツ戦やメカニカルな未来世界が乗っかっている――そういう特殊な構図が『機動戦士ガンダム』には本来あったわけです。オールドファンにも新しいファンにも、それを感じて楽しんでいただければ僕は幸せですね。

■プロフィール 安彦良和
1947年 北海道生まれ。大学中退後、アニメーターとして虫プロに参画。その後独立し、フリーに。1979年にTVアニメ『機動戦士ガンダム』のキャラクターデザインを務める一方、『アリオン』を発表しマンガ家デビューを果たす。『巨神ゴーグ』『劇場版アリオン』『機動戦士ガンダムF91』など、多くのアニメ作品のキャラクターデザイン、演出、監督を手がける。1989年以降は専業漫画家として『虹色のトロツキー』『ナムジ』『王道の狗』『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』など多数の作品を生み出す。2015年2月に公開されたアニメ『機動戦士ガンダム THE ORIGIN I 青い瞳のキャスバル』で総監督を務め、約25年ぶりにアニメの現場に復帰を果たした。

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